2021年(令和3年)1月18日 月曜日 徳洲新聞 NO.1270 二面
志半ばで倒れた井村和清医師
42年の時を経てもなお生き続けるメッセージ
岸和田徳洲会病院(大阪府)に勤務していた井村和清医師が逝去してから今年で43回忌(1月21日)を迎える。井村医師は1947年、富山県生まれ。日本大学医学部卒業後、沖縄県立中部病院を経て、草創期の岸和田病院に内科主任として入職し、患者さんのため診療に精勤。
しかし、長女の飛鳥さん誕生直後、右膝に悪性腫瘍が見つかり、77年11月、転移を防ぐため右脚を切断。その後、リハビリを経て同院に復帰した義足の井村医師は、患者さんから「あの先生のために頑張る」と言われるほど尊敬を集めたが、非情にも腫瘍は両肺に転移。井村医師は、愛する妻子やまだ見ぬ2人目の子を残して死にゆく無念、自らの来歴や医療観などを手記として、残された約5カ月の間につづった。
「悲しいことに、私はお前たちが大きくなるまで待っていられない。これは私が父親として、おまえたちに与えうる唯一の贈り物だ。さようなら」。この遺稿(原題は「ありがとう、みなさん」)は、書籍『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』(祥伝社刊)として刊行され、それをもとに映画やテレビドラマにもなった。
遺稿には「あたりまえ」、「3つの不幸」、「3つの悲しみ」などの詩もつづられている。「3つの悲しみ」の最後の段落を紹介する。「みっつめは、病気をしている人の気持ちになって医療をしていたつもりでも本当には病気をしている人の気持ちになれないという悲しさ。ですから、患者さんに対してはできる限りの努力を一生懸命していただきたいのです」。