徳洲会の創始者徳田虎雄は、1938(昭和13)年、兵庫県高砂市で生まれました。2歳の時に両親の故郷である、奄美群島の徳之島(鹿児島県)に移住。そこで3歳の弟が急病に倒れたときの経験が、彼の人生を大きく左右します。
当時の徳之島には、満足な医療ができる施設や設備はありませんでした。一刻を争う急病人や、本州まで行く費用がない島の人々にとって、病気は命を落とす事態に直結したのです。 弟が急変し、当時小学3年生だった虎雄は往診を頼むために、夜道を駆けて村の医者を訪ねました。しかし医者はすぐには動いてくれず、弟は息を引き取ってしまいます。
この時虎雄は「医師は急病人であれば、何があっても診るべきだ。どんな人であろうと助けるのが医師の役目だ。それなら自分が医師になろう。そして多くの急病人や困った人を助けよう」と強く誓ったといいます。
その後、一念発起して大阪の高校に転校した虎雄は、二年の浪人生活を経て大阪大学医学部に入学。家庭教師や肉体労働などのアルバイトを続けながら、医者をめざして勉強に励みますが、そこで見たものは、当時の医療現場では黙認されていた数々の現実でした。
農村・離島の医師不足、当時の公立病院による急病人のたらい回し…。それらが当たり前のように行われていた業界の常識を破って、虎雄は「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる病院」の設立を決意します。それが「休日、夜間の急病救急医療体制」を始め、患者さんと同じ視点から数々の画期的方針を打ち出した、徳洲会グループの原点なのです。