徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

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Tokushukai medical group newspaper digest

2018年(平成30年)4月23日 月曜日 徳洲新聞 NO.1130 一・二面

タンザニアの腎移植サポート
徳洲会グループ
東京女子医大病院と協力

徳洲会グループは東京女子医科大学病院と共同で、アフリカ・タンザニアで現地医療スタッフによる初の腎移植を支援した。3月に日本から支援メンバー計14人(女子医大含む)が同国を訪問。22日に首都ドドマにある国立ベンジャミン・ムカパ病院での親族間の腎移植をサポートした。ドナー(臓器提供者)、レシピエント(臓器移植者)ともに経過は良好で、両者はすでに退院している。支援は一昨年7月に始まり、この間、日本で現地スタッフの研修や、移植に関するルールづくりのアドバイスなども実施。移植の技術のみを指導するのではなく、同国の医療スタッフだけで今後移植ができる体制・環境づくりにも尽力した。

現地医師による執刀は初めて

手術が無事に終わり、歓喜に沸く日本とタンザニアのスタッフ 手術が無事に終わり、歓喜に沸く日本とタンザニアのスタッフ

タンザニアの腎移植支援プロジェクトが本格スタートしたのは2016年9月。湘南鎌倉総合病院(神奈川県)の小林修三・院長代行兼腎臓病総合医療センター長らが同国を訪問し、現地の厚生省事務次官や国立ドドマ大学副学長、医学部長らから正式に支援を要請された。当時、同国内で腎移植ができず、移植を希望する患者さんはインドなどで移植を受けていた。

小林修三・院長代行は帰国後、女子医大が日本国内で腎移植の実績が豊富なことや湘南鎌倉病院の三宅克典・腎移植外科医長が連携し移植を行っていることから協力を依頼。女子医大の吉岡俊正理事長、岩本絹子・副理事長の参加の下、女子医大法人とのタンザニア医療支援についての検討会を開催、法人としての協力を得た。両者は17年4月ドドマ大学での腎移植トレーニングのプログラムについて打ち合わせを行い、同年11月に移植を実施する方針などを確認。

ドナーの腎臓の血管再建を行う田邉教授(右)と三宅医長 ドナーの腎臓の血管再建を行う田邉教授(右)と三宅医長

その後、同大学近隣にあるムカパ病院の医療スタッフを徳洲会グループ病院や女子医大に招き研修する一方、湘南鎌倉病院の医師や医療スタッフが現地に赴き調査・指導を行い、腎移植の実施に向け準備を進めていた。しかしタンザニアでは移植医療に関する法制度などが未整備で、環境が整っていなかったことから、小林・院長代行は移植の延期を決断。情勢を見ながら18年3月に実施することとした。

「運営委員会の設立や国、大学、病院の連携など行うべき事項を示し、半年ほどの猶予を設けました」(小林・院長代行)

ミーティングで意見を交わす小林・院長代行(右から3人目)や東上・副理事長(その左) ミーティングで意見を交わす小林・院長代行(右から3人目)や東上・副理事長(その左)

その後、環境が整備されたことから移植の実施を正式決定し、3月に医療法人徳洲会の東上震一・副理事長(岸和田徳洲会病院院長)や小林・院長代行ら徳洲会側12人、女子医大からは田邉一成・泌尿器科教授兼院長と奥見雅由・同准教授が現地入りした。プロジェクトリーダーを小林・院長代行、プロジェクトのコーディネートを一般社団法人徳洲会のムワナタンブエ・ミランガ顧問、海老澤健太課長が務めた。

「尿が出た!」と日髙部長 「尿が出た!」と日髙部長

まず第1陣として、12日に湘南鎌倉病院の日髙寿美・腎移植内科部長、佐藤勉・検査部主任(臨床検査技師)、吉岡睦美・腎移植コーディネーター(看護師)、大野加央里・手術室看護師、海老澤課長が訪問。患者さんの選定や院内の環境、物品の確認を行うなど準備を進めた。17日から順次、第2陣のメンバーが到着。湘南鎌倉病院の三宅医長、大和徳洲会病院(神奈川県)の赤羽祥太・外科医師、野崎徳洲会病院(大阪府)の武富太郎・麻酔科部長、女子医大の田邉教授、奥見准教授らが加わった。

免疫抑制剤の投与にあたり、点滴ボトルなどを確認。輸液ポンプ自体初めて使用するため、現地スタッフへの教育も 免疫抑制剤の投与にあたり、点滴ボトルなどを確認。輸液ポンプ自体初めて使用するため、現地スタッフへの教育も

22日に実施した腎移植は、ドナーが40歳代の女性でレシピエントが兄の50歳代男性。ドナーの腎摘出術を午前10時頃から開始。執刀医は第1術者をレミ泌尿器科医師、助手を田邉教授が務めた。午前11時頃からレシピエントの手術を開始した。執刀医は第1術者をムシャンバ外科医師、助手をムイニ外科医師、三宅医長、奥見准教授が務めた。

日本とは異なる環境や、ドナーに多くは1本である腎動脈が4本あり、田邉教授らが血管再建を行った後、移植したことから、ドナーの手術は2時間44分、レシピエントの手術は8時間半に及んだ。

手術開始から6時間半以上経過し、手術成功の目安となる初尿を確認すると、手術室内で歓声が上がった。なかでも日髙部長は手術が終わると涙。「尿が確認できた嬉しさと、終わってほっとしたのか、思わず涙がこぼれました」(日髙部長)。東上・副理事長も「彼らの手で成し遂げたことが良かった。感動した」。

ドナー、レシピエントとも経過は順調で、すでに退院している。

さまざまな困難乗り越え

現地のメディアも注目 現地のメディアも注目

手術は無事に終わったものの、現地に入ってから実際に移植を行うまでには、さまざまな課題をクリアしなければならなかった。小林・院長代行によると、今回は寄付はせず、現地の病院が必要な環境・物品を準備、日本からはノウハウの提供と継続的に行える体制構築のサポートを目的としていたため、準備に相当な苦労が生じた。たとえば器具や薬剤。日本では手術の際、当たり前のように用意されている物がなく、他の物で代用したり近隣の医療機関から調達したりした。手術室も使用できる状態になったのは手術の2日前。三宅医長がきちんと稼働するか最終確認した。術後の管理スペースとしてICU(集中治療室)を設置。手がけたのは吉岡コーディネーターだ。

移植候補者の決定も難航。患者さんのなかには脳卒中で亡くなる方も出て、ドナー・レシピエント候補者4組のうち1組しか残らなかった。加えて、免疫学的な検査結果がなかなか得られず、移植の可否を判断するAuthorized committeeの厳格な協議などもあり、候補者が正式に決定したのは手術の5日前だった。日髙部長は「それが一番のプレッシャーでした」。

これらの課題解決に努めながら現地スタッフの教育にも注力した。

帰国後、小林・院長代行は「定期的な検査が必要ですし、拒絶反応が起こる可能性もあるので油断は禁物」と言いながらも「まずは第1段階をクリアしたと思います」と笑顔。大学病院と協力して実現できたことに「ひとつのモデルになったのでは」と自信をのぞかせた。日髙部長も「気付けば、どの人も“魚をもらうのではなく、魚の釣り方をともに習うんだ”と、徳洲会の海外支援の考え方が浸透していたことに驚きました」。

他のメンバーも「タンザニア医療従事者の貪欲な姿勢に自分も刺激を受けました」(赤羽医師)、「徳洲会の海外医療支援の意義を感じられた1週間でした。今後も継続して協力していきたい」(武富部長)、「ひとつの目標に皆が向かう経験ができて良かった」(吉岡コーディネーター)。

また「責任感が強くなりました」(湘南鎌倉病院の佐藤主任)、「本来かかわることがなかったであろう方の、人生の大事な瞬間に立ち会え純粋に嬉しかったです」(大野看護師)など清々しい表情で思い返していた。

プロジェクトに最初からかかわった海老澤課長は胸をなで下ろしつつも、「まだまだ課題山積。それらをリスト化し“宿題”として残してきました」と今後に期待を寄せた。

小林・院長代行は今回の支援の意義を「単に移植を行ったのではなく、移植医療をどう進めていくかを一緒に歩んだプロセスにあります」と強調。「医療チームが現地に行っている間、日本で抜けた穴をカバーしてくれたスタッフにも感謝です」と目を細めた。

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