2019年(令和元年)7月1日 月曜日 徳洲新聞 NO.1191 三面
離島・へき地 病院特集
海へ山へ! 大自然に抱かれて
離島・へき地病院の魅力を一挙紹介②
徳洲会グループは“生命だけは平等だ”の理念の下、「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会」の実現を目指し、民間病院グループでありながら離島・へき地・農村地帯に病院をはじめ介護施設などを展開している。離島・へき地病院にはグループ内外の都市部の病院から初期研修医や専攻医(後期研修医)が赴き、主にプライマリケア(総合診療)の研修を受けるなど、若手医師の揺らん期をサポート。今号では離島・へき地病院の魅力を一挙紹介する。
「移住して良かった」 石垣島病院
4歳から8歳まで3人の子育てをしながら、石垣島徳洲会病院(沖縄県)健診センターに勤務する櫻木志津医師。家族と東京から移住して3年目になる。「一番下の子どもの健康面への配慮が移住のきっかけです。温暖で湿潤な気候が望ましかったため日本最南端の石垣島を選びました」。夫はIT関係の職で居住地を選ばない勤務体系だったことが移住のハードルを下げた。
「のびのびと遊ぶ子どもたちの笑顔を見て、来て良かったと思いました」と話す。高校までは島内に整備され教育も当面は心配ないという。
「女性医師が少なく女性特有の悩みを相談できずにいる方々がいます。健診で悩みを打ち明けてくれ、専門科をお勧めするなどして安心して帰られる時に、島民の方々の健康を支えられることにやりがいを感じます」
単身赴任し漢方を習得 日高病院
家族とスノーボードを楽しむ上原部長(左)
日高徳洲会病院(北海道)の上原明彦・循環器内科部長兼内科部長が入職したのは2016年9月。内科系疾患を中心に外傷の初期対応など幅広い診療に取り組む。静岡県出身で、浜松市内の急性期病院で勤務後、産業医として活動。日高病院への入職は、同院の井齋偉矢院長との出会いがきっかけだった。
「井齋院長が静岡県内で“サイエンス漢方処方”について講演したことがありました。私自身、診療に漢方を使うなど興味があり、その後、短期間の研修に来て、『もっと勉強したい』と入職。院長は漢方の最先端を実践し、患者さんの満足度も高く、最新の知見に遅れずに付いていける環境があります」
高校生から大学生までの3人の子どもと奥さんと離れ、現在、単身赴任。周辺の幹線道路沿いには生活施設がそろっているため不便は感じない。
上原部長は循環器専門医、総合内科専門医などの資格をもつ。資格を維持するには関連学会などへ参加する必要があるが、「井齋院長の理解と配慮の下、後押ししてもらっています」。北海道に来てから人生初のスノーボードを体験し、新たな趣味になった。「リフレッシュになります。今後も続けていきたい」。
大阪から移住し地域医療 庄内余目病院
家族と最上川の川下りを楽しむ瀬角医長
庄内余目病院(山形県)の瀬角裕一・内科医長が入職したのは2018年4月。「以前から地域医療に関心がありました。初期研修医の頃に地域医療研修で2カ月間を過ごし、もともとご縁があった当院で、地域の方々のため診療に邁進(まいしん)したい」と話す。
大阪府出身の瀬角医長は三重大学医学部を卒業後、松原徳洲会病院(大阪府)で初期研修を行い、修了後は近畿大学の医局に入局。その後、大学院進学を経て庄内余目病院に入職した。
当時3歳の男の子と2歳の女の子、奥さんをともない、一家で大阪府から山形県に移住。「子どもが小学校に上がる前でしたので、家族で引っ越してきました。車があればショッピングセンターなど生活施設へのアクセスは容易で、育児など生活に不便は感じません」とにこやかに話す。
瀬角医長は大学の医局員時代に外科専門医の資格を取得。都市部以上に高齢化が進むへき地の地域医療では、外科のみならず総合診療的なスキルが重要と考え、同院への入職と同時に内科にキャリアチェンジし、外来、病棟、当直業務などに尽力する。「休日は家族で東北地方の観光地巡りを楽しんでいます」。
職場が気に入り関係継続 山北病院
家族と海水浴を楽しむ相川歯科医師
山北徳洲会病院(新潟県)の常勤医の相川弦・歯科口腔(こうくう)外科歯科医師は茨城県出身。福島県の大学を卒業し、大学歯学部附属病院に入局したが、最初に師事した助教授を追って新潟県の大学病院に入局。医局派遣で2008年に山北病院に籍を移し働き始めた。当初は1、2年間で交代する予定だったが、「自分のほうがはまっていった」(相川歯科医師)ことから、今なお勤務。新潟市内に居を構え、約2時間かけて通勤している。
「子どもが生まれ、自分の時間をもちたかったこともありますが、何と言っても職場の雰囲気が好きでした」と相川歯科医師。山北病院では、大学病院時代に経験しなかった高齢者の義歯(入れ歯)や小児歯科(虫歯や矯正など)など、あらゆる症例に対応。多くの経験を積める環境だけでなく、職員の人柄にも引かれた。
病院近くの海で家族と海水浴をしたり、職場の仲間と軽音バンドを組んだりして楽しみながら働いている。
ニーズとやりたい医療合致 皆野病院
趣味のトレイルランニングで汗を流す丹医長
皆野病院(埼玉県)の丹祐夏・皮膚科医長は2014年に入職した。「事前に見学した際、山に囲まれた景色を見て“故郷(北海道旭川市)と同じだ”と妙に安心感が得られたこと、また当時の山下芳朗院長(現・名誉院長)の言葉に働きやすさを感じ決意しました」。
地域のニーズと自分のやりたい医療が合致したことをはじめ、さまざまな理由が重なり入職から5年が経過した今も働き続けている。「当地域は埼玉県内で医師数が一番少ない地域。褥瘡(じょくそう)の処置ひとつとっても、正直、質の低さに驚きました。少しでも地域に貢献したいと思いました」。事実、以前の勤務先より患者数は少ないものの、手術件数は1.5倍、悪性腫瘍など重要な手術件数は倍以上に増えた。
「穏やかで、真面目な方が多い」という地域特性も合致。「皮膚科の治療はコツコツ取り組むことが多いので、治療効果が得られやすい」と、丹医長は指摘する。
そして、プライベートの時間が充実したことも理由のひとつだ。丹医長は趣味でトレイルランニングを実践。時間があれば近隣の山道で汗を流す。「川釣りやゴルフなども盛ん。都市部に住んでいれば、わざわざ出かけて行っていたことが、ここでは日常でできます」とアピールする。
丹医長は「新しい治療を始める際も病院がバックアップしてくれる」と言い、「専門分野でひととおりの治療ができるようになった中堅以上の医師には働きやすい職場です」と笑顔を見せる。
病院として一体感ある 館山病院
小野医師は休日に畑仕事やカヤックに挑戦するのが夢
2022年に新築移転を予定している館山病院(千葉県)は、「中規模」・「地域密着型」・「ケアミックス」病院として機動力を発揮できる病院づくりなどのコンセプトを打ち出している。
6月から同院に入職した小野憲爾・精神科兼内科医師は、これまで長崎県で働いていたが、新たな医師人生の出発点として同院を選び、夫婦二人で移住してきた。「これまでの経験を生かし、一人ひとりの患者さんにじっくり向き合い、心と身体を総合的に診ていきたいです。当院は雰囲気が良く、とても働きやすいです。多職種連携も診療科同士の連携もしやすく、一体感があります」と評価する。
館山での生活については、「温暖で自然も多くて住みやすく、館山に移住して大正解でした。まだ引っ越して間もないのであわただしいですが、休日には畑仕事をしたりカヤックに挑戦したりするのが夢です」と笑顔を見せる。
多岐にわたる症例を経験 出雲病院
多様な患者さんに対応する瀬下副院長
出雲徳洲会病院(島根県)はかつては、病院の存続が危ぶまれる時期もあったが、田原英樹院長自ら医師確保に尽力するなど地道な努力が実を結び、今は奄美群島のグループ病院に医師が赴くなど応援する側となった。「当院が危機だった時にグループ病院の支援を仰いでいました。応援のありがたみは、よく理解しています」と説明する。医師確保とともに、退職しない職場の環境整備に努めた。
瀬下達之副院長は入職して3年目。以前は外科医として手術に明け暮れる日々だったが「いろいろな疾患を抱える患者さんが増えていくなかで、総合的に患者さんに対応したいと思い、お世話になろうと思いました。多岐にわたる症例を経験できるので、とても勉強になります。働きやすい環境も魅力です」と笑顔を見せる。
地域と共にある病院 山川病院
山川病院(鹿児島県)は健康友の会の活動が活発で、そこから患者さんの紹介が多い。また、毎年「いぶすき菜の花マラソン」の医療救護班を担当するなど、地域のイベントへの参加も積極的だ。次世代の若手育成にも注力しており、地元の看護学校の実習施設として協力、さらに中学生を対象とした体験学習も、夏休み時期を中心に毎週のように受け入れている。
野口修二院長は「ひとりの患者さんをじっくり見ることができるのも当院の良さ。若手の教育にはもちろん、中堅医師があらためて医療のあり方を見つめ直すきっかけにもなると思います」とアピールする。
勉強に専念できる環境 大隅鹿屋病院
大隅鹿屋病院(鹿児島県)の中山義博院長は「へき地であるがゆえ、勉強に専念できる環境」と指摘する。今後は、より教育を充実させるためにも、指導的な立場に立てる中堅医師の確保や、救急などでニーズの高い脳神経外科、整形外科のチーム形成を狙う。「地域にとって、当院は“最後の砦(とりで)”。期待に応えるためにも、体制強化に努めます」(中山院長)。