直言
Chokugen
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直言 ~
安富祖 久明(あふそひさあき)
一般社団法人徳洲会副理事長
2019年(令和元年)7月1日 月曜日 徳洲新聞 NO.1191
元号が令和に改まり初めての徳洲会グループ医療経営戦略セミナーが6月1日から2日間、開かれました。2018年度の経営状況が比較的好調で、新年度に入り4月も順調な滑り出しであることが明らかになると同時に、これまでの経営対策の継続も必要であることが示されました。懇親会には今年度入職した過去最多の159人に上る研修医たちも参加。彼らが将来の徳洲会を背負って立つことを願いつつ、研修体制の充実に思いをはせました。
2日目の院長会では離島・へき地の病院長らから、医師のマンパワー不足に関し意見が出され、グループ全体としての医師対策の不備を痛感させられました。ある院長は「マンパワーが不十分ななか、毎日の診療・経営をやりくりしながら継続してこられたのは、いつもグループ全体で支援を講じてくれたからです。しかし最近は、それが希薄に感じます」。また、ある病院の副院長からは「院長が倒れて外科医が不在になった時、どこに連絡していいのか、対策は立てられているのか非常に不安です」と悲痛な訴えもありました。さらに「中・長期的なグループ全体での応援体制がありません。医師が病気になったり事故に遭ったりした場合、緊急支援体制がなく、心細い限りです」といった声も上がりました。
医師が多い超規模病院の院長からも意見が寄せられ、「短期的な応援なら大丈夫だが、問題は常勤医の確保をどうするかではないでしょうか」、「離島・へき地の医師対策はどうなっているのでしょうか」などと白熱した議論になりました。
8年前の院長会で、徳之島徳洲会病院の上山泰男(かみやまやすお)院長(当時、現・一般社団法人徳洲会大阪本部顧問)から常勤医が3人いるが、翌月から1人いなくなる。この窮状をどうにかできないかと要請があり、一般社団法人徳洲会の福島安義・副理事長が窓口となって、超規模病院を中心とした応援体制が敷かれ、難局を乗りきったことがありました。また5年前には沖永良部徳洲会病院で常勤医が2人になるという非常事態もありましたが、その時も超規模病院が中心となり対策を立てました。これまでのこうした経験を参考にして今回、対策を講じました。まず、外科医が不在となった屋久島徳洲会病院に対し、月・火曜日は岸和田徳洲会病院から応援、土曜日午後から月曜日午前までは中部徳洲会病院、宇和島徳洲会病院、千葉徳洲会病院、福岡徳洲会病院から応援を開始し、その後は順次、超規模病院の院長にお願いします。この応援体制は屋久島病院に常勤の外科医が補充されるまで継続する考えです。
離島・へき地の医療者たちの懸命な努力も続けられています。行政を巻き込み地域活性化を目的としたシンポジウムや、全国から若き医療者を集めたイベント、離島・へき地と都市部の病院との間でのWEBカンファレンスも行われています。訪問診療で遠隔診療を活用する動きもあります。院長、事務長たちも常勤医を確保すべく、忙しい業務の合間を縫って人脈を頼り、グループ外の病院回りを行うなど精力的に活動しています。
離島・へき地病院の医師のマンパワーは初期研修医、専攻医(後期研修医)のローテーションと、都市部の病院の院長をはじめ離島・へき地医療に志のある数人の医師たち、グループ内外からの非常勤の医師たちによって、かろうじて維持されているのが現状です。
私たちは「いつでも、どこでも、だれでもが最善の医療を受けられる社会」の実現をグループ創立の精神としてもち、離島・へき地医療を継続していくために、都市部に病院をつくり続けてきました。これは今後も変わることはありません。離島・へき地医療は私たちの原点だからです。新しく建て替えた病院で、最新鋭の医療機器を駆使し、自分自身が興味をもつ医療を存分に行いたいなら、離島・へき地医療を支えることで、それが初めて可能になるということを、グループの全職員、とくに医師の皆さんは肝に銘じていただきたいと思います。
全国的にも医師が都市部に偏在し、地方の医療崩壊が懸念されるなか、徳洲会の社会的な存在意義が大きな注目を浴びています。今まさに徳洲会の真価が問われているのです。
皆で頑張りましょう。