2019年(令和元年)7月1日 月曜日 徳洲新聞 NO.1191 一・二面
離島・へき地 病院特集
海へ山へ! 大自然に抱かれて
離島・へき地病院の魅力を一挙紹介①
徳洲会グループは“生命だけは平等だ”の理念の下、「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会」の実現を目指し、民間病院グループでありながら離島・へき地・農村地帯に病院をはじめ介護施設などを展開している。離島・へき地病院にはグループ内外の都市部の病院から初期研修医や専攻医(後期研修医)が赴き、主にプライマリケア(総合診療)の研修を受けるなど、若手医師の揺らん期をサポート。今号では離島・へき地病院の魅力を一挙紹介する。
希望の勤務形態が叶う 屋久島病院
ウミガメと一緒にダイビング
ウォータークライミングを満喫
鹿児島本土の南に位置する屋久島は1993年に世界自然遺産に登録され、国内外からも多くの観光客が訪れている。お目当ては樹齢1000年を上回る巨大な屋久杉や映画「もののけ姫」の舞台にもなった奥深い山々、自然豊かな景色を眺めながらの沢登り、ウミガメと一緒に遊泳できるダイビングやシュノーケリング、天然温泉などだ。
屋久島徳洲会病院に勤務し15年目の新家佳代子副院長(形成外科)は「登山が趣味だったり、サーフィンが好きだったりして、当院に入職する職員がいます。サーフィンは、お隣の種子島まで遠征します」と、アクティビティの一端を紹介する。新家副院長自身も岳人で、ネパールの5000m級の山々を登頂した経験をもつ。
「当院の医師のなかには都会の病院勤務で疲弊し、入職してきた方もいます。当院の良いところは、希望する勤務形態を、できる限り聞き入れてくれるところです」とアピール。業務の合間に1時間半程度の空き時間があれば、「近くの海辺でウミガメとともに泳ぎ、リフレッシュして仕事に戻れるんですよ」と笑みをこぼす。
医師人生の大きな糧に 喜界病院
研修仲間と記念撮影。左が辻山医師
遥か彼方の水平線に沈む夕日。幻想的な風景を醸し出す
喜界島は鹿児島本土から南に380㎞に位置する周囲48㎞の隆起サンゴ礁の島だ。ガジュマルやソテツなど亜熱帯性の植生に恵まれ、島バナナやパパイヤなど果物も豊富。きれいな花々を求めてオオゴマダラなど蝶が飛来することでも有名だ。
島唯一の病院である喜界徳洲会病院(鹿児島県)に湘南鎌倉総合病院(神奈川県)から研修に来ている辻山美菜子医師(専攻医)は「都会では病院で看取るケースがほとんどですが、離島では自宅に戻って看取ることが多く、貴重な経験をさせていただいています。患者さんの背景をよく見ることができ、今後の医師人生を考えた場合、大きな糧になるはずです」とにこやかに話す。
常勤の谷本憲保医師(産婦人科・小児科)も「離島では患者さんと深い信頼関係を築くことができます。これは何よりも得難いことです。若い医師たちにとって全人的な医療を習得する絶好の場と言えるでしょう」と力を込める。
辻山医師は、島のマラソン大会に参加しフルマラソンを完走したり、診療の合間に院外に出て潮風に当たりながら日光浴を楽しんだりして、オン・オフのめりはりを付けている。
美しい砂浜や海景に感動 笠利病院
奄美大島北部に位置する笠利病院(鹿児島県)。和田誠人・事務責任者は「応援などで初めて来る先生方は美しい砂浜や海景に感動されていますね。奄美大島は南北で風景が異なり、それぞれに魅力があるのも特徴です」とピーアール。
仕事の後にサーフィンや釣りを楽しむ医師もいるそうだ。
離島病院の応援にも注力 名瀬病院
名瀬徳洲会病院(鹿児島県)は他の離島病院の支援も役割のひとつ。いつも3分の1ほどの常勤医が、瀬戸内徳洲会病院や笠利病院、喜界徳洲会病院などに応援に行っている。松浦甲彰院長は「同じ離島の医師として大変さがわかるから、支援にも力が入ります」。
また、「多くの常勤医を抱えることは頼もしいが、離島の医療を将来にわたり成り立たせるには絶え間ない応援が必要です」と持論を展開。常勤医ばかりだと、定年を迎えたり急に辞めたりすると途端に病院が運営できなくなるが、人が循環していると長続きしやすいと言う。
「離島の離島」で研修も 瀬戸内病院
診療の合間に浜辺を散策する出家医師
湘南鎌倉病院のジョエル・ブランチ臨床教育部長(右)や朴澤所長(中央)から指導も
瀬戸内徳洲会病院(鹿児島県)は奄美大島の南西に立地し、大島海峡をはさんで対岸の加計呂麻島を一望できる風光明媚(ふうこうめいび)な場所にある。シーカヤックやヨット、フィッシング、ダイビングなど豊富なアクティビティがあり、なかでも潮の満ち引きと太陽が産み出す自然のアート「青の洞窟」探検が人気だ。同院に広島市民病院から研修に来ている出家寿々医師(初期研修医)は「都市部の急性期病院はDPC(診療群分類別包括評価)対象病院なので、患者さんの在院日数は短いのですが、瀬戸内病院では、じっくり患者さんを診療でき、とくに高齢の患者さんのさまざまな疾患に対応できるのが、とても新鮮であり勉強になります」と笑みをこぼす。
加計呂麻徳洲会診療所(鹿児島県)の朴澤憲和所長の案内で、その先の「離島の離島」と言われる請島、与路島の研修ツアーにも参加した。忙しい診療の合間には、瀬戸内病院の屋上に上がり、他の研修医や専攻医と一緒に海を眺めながら弁当を広げ、楽しんでいる。
周りの助けで子育ても 徳之島病院
宮﨑医師は闘牛オーナーとしての一面も持つ
徳之島徳洲会病院(鹿児島県)では2人の産婦人科医で、島で唯一の産婦人科診療を行っている。
このうちのひとり、宮﨑のどか産婦人科医師は結婚を機に京都府から移住。「2歳と3歳の息子がいますが、〝子宝の島〟だけあってまわりの方々が優しく協力的で、常勤医としてフルで働くことができています。移住前に知人から、離島は人付き合いが濃密で大変そうと言われましたが、私には働きやすくありがたい環境です」。
宮﨑医師は移住前から何度か同院に応援に来ており、小児科の常勤医がいない状況など知っていたため、鹿児島県の病院で8カ月間の新生児内科での研修を受けてから常勤医となった。「緊急時に搬送前の初期対応ができるように学びました。少し不安はありますが、最後の砦(とりで)としての緊張感をもちながら頑張っています」と意欲的だ。
藤田安彦院長は「昨年、眼科や耳鼻咽喉(いんこう)科の検査機器など新しくしましたが、非常勤医にも働きやすい環境を整えています」とアピールする。
離島医療への貢献望み入職 沖永良部病院
美しい海が望める沖永良部島
沖永良部徳洲会病院(鹿児島県)の常勤医はいずれも単身赴任。このうち、重軒正宏・産婦人科部長は佐賀県出身で徳洲会の徳田虎雄・前理事長の思いに引かれ、2014年に入職した。
島唯一の産婦人科医として、妊婦さんや胎児、新生児の命を守るかたわら、学会発表に精力的に参加するなど最新の知見を得る努力も欠かさない。「病院の理解もあり学会などには不自由なく参加しています」と重軒部長。島であるがゆえ、「ある程度症例が限られ、データ収集も行いやすいので、研究や学会発表などをしたい人には向いている職場だと思います」。
藤崎秀明・内科部長は地元出身者。「郷土に恩返しを」との思いから、5月に赴任した。現在、診療の合間を縫って月2回、家族が暮らす大分県に帰る。「ケービングやダイビングを楽しむ職員もいます。美しい自然を愛する仲間と島の医療を支えていきたいです」と展望する。
22年ぶりのダイビング 与論病院
ダイビングで息抜きをする中右部長
「徳洲会グループのバックアップと近隣県からの派遣で、予想していたよりも外来医師は充足していますが、問題は残っています」
こう話すのは出雲徳洲会病院(島根県)の中右博也・脳神経外科部長だ。3年ほど前から離島病院への応援診療に参加してきた。これまで屋久島、沖永良部島、徳之島、与論島に出張。
生活習慣病など内科、整形外科疾患を中心に外来診療を担当。週に一度、当直にも就いた。入院患者さんの診療は研修医が主戦力で、中右部長は若い彼らの勉強ぶりと情報収集能力に舌を巻く。
「3島の患者さんは予約を嫌います。外来担当医が交替することもありますが、漁師気質も理由でしょう」。電子カルテの利点が生かせない。皆が初見の患者さん。「たとえば糖尿病の患者さんは、重大な変化を見落としたり、DR(糖尿病網膜症)により血糖の目標設定が変わることもあったりします」。
離島応援ならではの楽しみもある。「22年前に沖縄でライセンスを取ったままにしていたダイビングを再開しました」(中右部長)。
研修医時代の恩返しを 宮古島病院
休日に同院の職員と海に出て、大物を釣り上げる外山医長
宮古島徳洲会病院(沖縄県)の斉藤憲人院長は「たとえば、週に3日間ずつ働ける医師が2人いれば、1人分の常勤医と同じになります。働き方の多様性を提案し、その人らしく宮古島での生活を送ってもらえるようにしたいです」と構想する。
現在、2カ月に1回応援に来ている千葉徳洲会病院の外山雄三・消化器内科医長は、定期的な来島を楽しみにしているひとり。「職員同士の距離が近いので、仕事上の相談のしやすさはもちろん、仕事終わりや休日に遊びに行くことも多いです。都会とは違う環境で働くと、自分自身を見つめ直すきっかけになり、英気を養えます」と笑顔。
外山医長は初期研修医2年目に同院で地域医療研修を実施。その際に、島の方々に大腸内視鏡検査をして、複数人から大腸がんを発見した経験がある。その後、消化器内視鏡専門医になり、より島の方々の健康維持に貢献できる実力が付いたと考え、3年前から応援を続けている。「研修医時代にお世話になった宮古島に恩返ししていきたいです」と意気込みを語る。