徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

徳洲新聞ダイジェスト

Tokushukai medical group newspaper digest

2019年(令和元年)5月6日 月曜日 徳洲新聞 NO.1183 三面

人としても成長できる場
徳洲会の副理事長・病院長が若き日を語る

徳洲会グループには、医師になって間もない頃に離島やへき地の医療を経験した病院長らが少なくない。当時を振り返ってもらうとともに、あらためて離島・へき地で経験を積む意義を語ってもらった。

一流の総合診療医が育つ環境
福島安義・一般社団法人徳洲会副理事長

私と徳洲会とのかかわりは1984年、茅ヶ崎徳洲会病院(神奈川県)への入職とともに始まりました。当時、離島・へき地の産婦人科診療体制は現在と比べ、はるかに脆弱(ぜいじゃく)でした。そうしたなかで産婦人科医が足りない離島・へき地病院の応援のため、自分や、今も徳洲会病院で診療を続けている何人かの先生方が全国を飛び回り、お産に立ち会ったり子宮筋腫や帝王切開など手術を行ったりしました。

当時は産婦人科の手術に必要な医療器具がそろっていない病院もあり、飛行機で向かう際に持参したこともあります。小児科医がいない施設で低出生体重児などが誕生した場合には、新生児を引き続き診療することもありました。

全国を飛び回り離島・へき地病院でお産の立ち合いや手術も 全国を飛び回り離島・へき地病院でお産の立ち合いや手術も

限られたマンパワーのなか、離島・へき地のお産を維持する必要があったので、とても大変でした。その後、グループ内の産婦人科医が育ち、当初と比べ診療体制は落ち着きました。

産婦人科医療は、他科の医師では代わりがききにくい特殊性があるため、離島・へき地病院では、ある程度経験を積んだ医師の勤務が望ましいと考えます。ただし医師として大いに成長する機会に恵まれていますので、本気で取り組めば一流の総合診療医が育つ環境だと思います。

患者さんからの感謝に応える!
安富祖久明・一般社団法人徳洲会副理事長

1986年、徳洲会初の離島病院として徳之島徳洲会病院(鹿児島県)が開院しました。これまで国や大学は離島医療を避けて通ってきましたが、徳洲会の離島を救う精神は〝社会的矛盾に対する闘い〟だと考えています。

徳之島病院には私も応援に行っていましたが、開設当時は医療資源やスタッフがそろわず、思うような医療はできません。しかし、患者さんは涙を流して感謝してくれました。医療の原点は弱い立場の人に手を差し伸べること。だからこそ徳洲会は、離島・へき地医療の充実に向け精力的に活動してきました。

徳之島病院開設当時の安富祖・副理事長(右) 徳之島病院開設当時の安富祖・副理事長(右)

研修医の皆さんが離島・へき地病院で研修をすると、多くの患者さんから感謝の言葉をいただくと思います。そして、患者さんが“教科書”だということをじかに感じるでしょう。それは患者さんとの近さであり、責任を実感しながら真剣に向き合うからです。ひとりの患者さんにかけられる時間が長いのも離島・へき地研修の特徴なので、その環境のなかで「考える力」を養ってほしいです。

また、社会人としての視野が広がるのもメリット。都市部の医療を外側から見ることで、医師としての立ち位置を見直すことができます。

ハブ咬傷の患者さんが初日に
佐野憲・仙台徳洲会病院院長

大学を卒業し徳洲会に入職したのは1993年です。3年目の秋から冬に3カ月間、徳洲会湘南外科グループ(SSA)の離島研修を鹿児島県の加計呂麻徳洲会診療所(当時は病院)で行いました。

医師1年目を終える頃の佐野院長(右)と徳田虎雄・徳洲会前理事長 医師1年目を終える頃の佐野院長(右)と徳田虎雄・徳洲会前理事長

ハブ咬傷(こうしょう)の患者さんが診療初日に来院したこと、当時全国を飛び回っていた福島安義・一般社団法人徳洲会副理事長と一緒に子宮筋腫の手術を行ったこと、加計呂麻島の近くの与路島や請島へ船で訪問診療に行ったこと、加計呂麻島が舞台の映画『男はつらいよ』シリーズ第48作の撮影を目撃できたことなど、わずか3カ月間で、紹介しきれないくらいのさまざまな体験をしました。

これまで関東、関西、中部、東北の各地で勤務してきました。それによって、何ものにも代え難い人脈を築くことができました。若い頃は一カ所にとどまらず、離島をはじめ文化の異なる地域を経験することをお勧めします。

自分の“本当の実力”がわかる
遠藤清・生駒市立病院(奈良県)院長

医師になって3年目、1987年に宇治徳洲会病院(京都府)に入職しました。当時、宇治病院の外科はかなり充実していたこともあり、私もほどなく全国の徳洲会病院のサポートに入りました。離島では沖永良部徳洲会病院(鹿児島県)や喜界徳洲会病院(同)に多く行ったことを覚えています。

宇治病院から離島病院に行っていた頃の遠藤院長 宇治病院から離島病院に行っていた頃の遠藤院長

島では本当にいろいろな経験をしました。なかでも忘れられないのが、気胸の若い患者さん。手術することになったのですが、予定していた医療用ホチキスが台風で届かず、腸の鉗子(かんし)を代用して何とか治療したことがありました。

離島やへき地では、どの程度自分ができるのか“本当の実力”がわかります。人も物も整っている環境では真の実力はわかりません。地元の方とのコミュニケーションを通じ、得られるものは大きく、医療はもちろん人としての経験を積む意味でも、機会があれば年齢や職種を問わず経験してもらいたいと思います。

20年以上見逃されていた疾患発見
松浦甲彰・名瀬徳洲会病院(鹿児島県)院長

1987年に医学部を卒業し、徳之島徳洲会病院(鹿児島県)に入職しました。当時は徳洲会初の離島・へき地病院で、全国から徳洲会のスタッフが駆け付けている状況でした。メジャーな診療科の医師10人前後が在籍し、私は、ほかの3人の同期とともに指導を仰ぎました。

頭のてっぺんから足の先まで、大学で学んできた医学知識を試され、時には高度な医療の手伝いもさせられましたが、そのトレーニングが、20年以上見逃されていた疾患の発見・治療に実を結んだことがありました。その経験は今でも医師として生きがいを感じた出来事のひとつになっています。

研修医当時の松浦院長。忙しい診療の合間に大物を釣り上げニッコリ 研修医当時の松浦院長。忙しい診療の合間に大物を釣り上げニッコリ

時に閉じ込められたような島の生活でしたが、海とのかかわりは、その閉塞感を癒やしてくれました。救急車とすれ違い、「これは……」と予感がしても海へ向かうのです。案の定しばらくすると「釣り糸を巻き上げて病院へおいでください」と迎えが来ました。

離島・へき地医療の良さのひとつは、自分で責任をもって診断から治療終了まで手がけられることです。患者さんを診続けることは、治療計画や病そのもののみならず、多面的な見方を学び、人を癒やす幅広い力を養うことにつながるはずです。

“断らない医療”のベース学ぶ
川本龍成・大和徳洲会病院(神奈川県)院長

湘南鎌倉総合病院(神奈川県)で初期研修を終えた後、2006年に徳洲会湘南外科グループ(SSA)で後期研修を開始、1年目の夏に皆野病院(埼玉県)で3カ月の研修を行いました。現・名誉院長の山下芳朗先生には、手術に立ち会わせていただくなど外科医として成長の機会をいただきました。

皆野病院は秩父郡の北東に位置し、まわりを山々に囲まれた、いわゆる〝へき地病院〟ですが、ここでは総合的な診療能力を求められます。地域から何を求められているのか、自分に何ができるかを考えながら研修を行い、徳洲会の“断らない医療”のベースを学べたのではないかと思います。

川本院長は皆野病院で手術を経験し、外科医として社会人として成長 川本院長は皆野病院で手術を経験し、外科医として社会人として成長

医療のニーズは病院や地域によって異なるものです。離島・へき地病院にいると、それを体感することができます。私は3カ月の研修を終え、さまざまな考えに触れ、医師としての裾野が広がったように感じました。

離島・へき地研修は、自ら学ぶ姿勢がなければ得るものは少なくなります。どんな状況であれ、新しい環境を成長の機会ととらえることが大切です。また、医師としてだけでなく、 社会人として成長することもできます。

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