
直言
Chokugen

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直言 ~
福田 貢(ふくだこう)
医療法人徳洲会 副理事長 八尾徳洲会総合病院(大阪府) 総長
2025年(令和7年)12月22日 月曜日 徳洲新聞 NO.1523
1999年、米国医学研究所は『To Err is Human(人は誰でも間違える)』という報告書を公表し、年間約4万4,000人が回避可能な医療過誤で命を落としていると指摘しました。報告書では、「人は必ず間違える存在であり、重要なのは“個人を罰すること”ではなく、“過ちを防ぐ仕組みを整えること”」という考え方が示されました。換言すれば医療を「完璧さ」を前提とした業務から「エラーを前提にした安全設計」へと転換する考え方が示されたのです。
この理念が具現化されたのは、2004年のバージニア・メイソン病院の事故においてでした。脳動脈瘤に対するカテーテル治療中、外用消毒剤クロルヘキシジンが誤って動脈内に注入され、69歳女性が多臓器不全で亡くなりました。透明な造影剤・生理食塩水・クロルヘキシジンがラベルのないボウルに並列で配置され、外見では区別不能であったことが原因でした。それまでは茶色の消毒液を使用しており、透明な新規消毒薬変更時のリスクは十分には周知されていませんでした。事故後、同院CEO(最高経営責任者)のゲーリー・S・カプラン氏は「隠していては何の解決にもならない」と述べ、全面的に謝罪し事故を公表しました。彼の誠実な対応は遺族に受け入れられ、病院は「患者安全を最優先とする文化」へと転換しました。職員5,400人全員が「Stop-the-line(誰でも手技を止められる)」文化を実践し、ヒューマンファクター教育と報告体制の強化に努めました。その後、同院は8年連続で全米優秀病院に選ばれます。カプラン氏は「患者の死が安全文化の大切さを教えてくれた」と述懐しています。
日本でも重大事故が安全文化の礎となりました。1985年、新生児への異型輸血事故が発生し、確認手順の不徹底と監視体制の欠如が問題となりました。この事件を機に、「輸血療法委員会・輸血管理部門の設置」が義務化されました。同年にはHIV抗体陽性者が初めて報告され、非加熱製剤による感染問題が顕在化しました。その後、輸血安全と血液行政改革という2つの流れが、医療安全管理学の出発点となりました。
99年には横浜市立大学附属病院で、僧帽弁形成術予定の患者さんと、肺切除予定の患者さんが取り違えられる事故が起きました。原因は識別手順の不備、引継ぎ体制の脆弱さ、タイムアウト未実施、管理体制の未成熟でした。この事件を契機に全国でID確認やダブルチェックが徹底され、「声かけ確認」や「チームによる安全確認」が定着しました。一方、被害者2人はいずれも本来の手術を受けられず、治療遅延という2次被害に苦しみました。事故には、その瞬間だけでなく、その後の対応にも“2重の穴”が存在することを示しています。
2001年、東京女子医科大学病院で、12歳の少女が心臓手術後に死亡しました。内部告発により、体外循環システムの脱血不良が原因と指摘されましたが、初期報告書には虚偽の内容があり、専門家の検証も行われていませんでした。さらにカルテ改ざん(記録削除や瞳孔記録の改変)が発覚し、02年に厚生労働省は同院の特定機能病院指定を取り消しました。同院は07年の再指定まで、徹底した改革と信頼回復に努めました。この事件は、「エラーを隠すことこそ最大の過誤である」という教訓を残します。医療では、過誤そのものよりも隠蔽や説明不足が信頼を根底から崩します。
エラーを完全に防ぐことは困難です。しかし、誠実な対応で被害を最小限にすることは可能です。この姿勢こそ、現場で働く私たちに求められる基本です。事故は恥ではなく、学びのきっかけです。安全は制度やマニュアルではなく、私たち一人ひとりの行動の積み重ねと、同僚との誠実な連携で守られます。私たちは自分の失敗には寛容である一方、他者の失敗には厳しい姿勢を取りがちです。しかし、他者の経験から学ぶ姿勢こそが、真の安全文化を育てます。「失敗から学びましょう。自分で全部経験するには、人生は短すぎます」。この言葉を胸に、“検知と共有”を続け、過去の犠牲を未来の安全構築へと変えていきましょう。隠さない勇気、学び合う姿勢、これこそが徳洲会の安全文化の原点です。
皆で頑張りましょう。