徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

喜界徳洲会病院(鹿児島県) 院長
小林 奏(こばやしすすむ)

直言 生命 いのち だけは平等だ~

小林 奏(こばやしすすむ)

喜界徳洲会病院(鹿児島県) 院長

2024年(令和6年)05月20日 月曜日 徳洲新聞 NO.1441

最善の医療である世界標準レベルへ
当院の医療レベルアップを目指す!
いつでも学べる誰でも学べる「学びの島」に

皆さん、こんにちは。2024年4月に当院院長を拝命しました。私は東京都墨田区出身、1999年、奈良県立医科大学卒です。宇治徳洲会病院で初期研修を行い、地域医療研修先の徳之島徳洲会病院で医局秘書をしていた女性と一緒になりました。その後、大阪の北野病院で神経内科専門医を取得し、東京西徳洲会病院、福岡徳洲会病院を経て、沖縄の那覇市立病院、2013年には福島県へ移り、東日本大震災復興に対する医療と臨床研究、総合内科を大学病院と市中病院で学びました。

福島で原発周囲の病院へ応援 健康長寿への啓発活動も行う

私は生まれつき右足に先天性外反踵足という病気があり、左足に比べ右足の成長不良がありました。小学生の時から靴底を高く加工した靴を履いて過ごし、高校生の頃には足の長さの差は4.5cmとなりました。大学浪人時に右下腿を伸ばす脚延長手術を受けました。下腿は脛骨と腓骨という2つの骨がありますが、両方とも一度切断します。切断した脛骨の上下に鉛筆ほどの太さの金属ピンを3本ずつ挿入し、それを創外固定器という鉄棒で支えます。骨折が治る過程を利用し、わざと骨折させた切断面に新たに柔らかな骨ができ、1日1mmずつ足を伸ばし、4.5cm伸ばしたところで骨が硬くなるまで固定を継続します。半年ほどで創外固定器を外し、購入した靴を加工せず、そのまま履けた喜びは今でも忘れません。

宇治病院での初期研修は救急と循環器を現・院長の末吉敦先生から、外科を現・生駒市立病院長の遠藤清先生から、内科を当時、岸和田徳洲会病院の名誉院長であられた山本智英先生から、とても熱い指導を受け、医師としての基礎を学びました。記憶に残る患者さんとして、急性咽頭炎の病名で入院した10代男性がいます。発熱、咽頭痛、筋肉痛が続き、血液検査で肝機能障害や血小板減少、腹部超音波検査で肝臓と脾臓の腫大があり、日々症状が悪化していきます。現病歴を取り直したところ、少し前に東南アジアへ旅行して多くの蚊に刺されており、マラリアを考え、ギムザ染色(血液系疾患の診断に用いる染色方法)をして多数のリング状マラリア原虫を確認しました。母校の奈良医大へ相談したところ、宇治病院へ治療薬を持って専門医が駆け付け、四日熱マラリアと診断し、毎日、ギムザ染色でマラリアが減ることを確認して治癒しました。この時、内科診断学の楽しさを経験しました。

11年3月11日の東日本大震災発生時は、那覇市立病院で神経内科医として勤務していました。とくに被災地へ赴き支援できるわけでもなく、医師として10数年が過ぎ、自分の診療が本当に正しいのかと疑問をもち始め、臨床研究の基礎知識が必要だと感じるようになりました。13年5月にACP(米国内科学会)日本支部年次総会に参加し、福島県立医科大学での臨床研究フェローシップ制度を知りました。同フェローシップは福島の医療に貢献しながら臨床研究の学習と実践演習を行うと同時に、京都大学公衆衛生大学院で学位を取るプログラムでした。福島には縁もゆかりもなく、原発事故後の放射線被害を含めた健康被害が心配でしたので、自分の目で福島を見て、自分で入手した情報を総合的に考え、子どもを育てる環境としても問題なく暮らせると判断しました。福島へ移動後、放射線医療を習得し、「Fukushimaは世界に誇る低線量被ばく地」であることも学んで、子どもの甲状腺がん問題も震災前に検査をしていなかったため、真の罹患率ではないことを理解しました。福島では原発周囲の病院へ診療応援や、病院にかかっていない高齢者を地域の保健師さんを含めた行政と一緒になり、健康長寿への啓発活動と健診データの調査を行いました。

教育に熱心な医師や研修医 医療従事者が集まる努力も

喜界島の人口は約6,300人で、唯一の入院施設をもつ当院は1991年8月に開院し、2024年12月には新築移転の予定です。病棟89床、外来は一日平均180人と、島唯一の病院のため多くの患者さんが来院され、救急搬送は年300件以上で、対応困難な症例は島外搬送も行います。当院での医療レベルを最善の医療である世界標準レベルへ上げるために、いつでも学べる、誰でも学べる、「学びの島」にして、教育熱心な医師や研修医、医療スタッフが集まるよう努めてまいります。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

皆で頑張りましょう。

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