徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

医療法人徳洲会 専務理事
千葉西総合病院 院長
三角 和雄(みすみかずお)

直言 生命 いのち だけは平等だ~

三角 和雄(みすみかずお)

医療法人徳洲会 専務理事 千葉西総合病院 院長

2023年(令和5年)12月04日 月曜日 徳洲新聞 NO.1418

知力・体力が続く限り経験の蓄積生かし
若手医師を育て法人全体を盛り上げる
新年度に増床し徳洲会最大の680床へ

今から26年前の1997年11月某日。小雪の舞うなか、札幌プリンスホテルのロビーで、私は米国から一時帰国し、徳田虎雄・名誉理事長と初めて言葉を交わしました。徳田先生が医学生のリクルートのために開いた講演会に出席した時以来、お目にかかるのは2回目でした。私がロビーで待っていると、ドタドタっという雰囲気で、あのギョロっとした目をキョロキョロさせながら、先生は入って来られました。そして、「あんたが三角先生か」と、私の右手を両手で握って離さなくなりました。「千葉西病院の循環器を任せるから、好きにやってください」と言われ、そのまま立ち去られました。

他の追随許さない黒字経営の法人 世界規模の奉仕活動も見当たらず

その翌月、当院に入職し、実際に活動を始めたのは98年1月でした。それからの経緯は拙著『千葉西総合病院トップ病院への軌跡』(朝日新聞出版刊)をご覧いただければ、わかりますが、戦いの連続でした。病院内部での戦い、病院周囲、とくに他病院との戦い、そして心が折れそうな自分との戦い。思えばこの25年間、筆舌に尽くし難い、さまざまな苦労がありました。

先日、徳洲会創立50周年記念式典が東京で開かれました。徳洲会ができて50年、その半分を私も徳洲会で過ごしたことになります。その50周年記念誌を見てみると、徳洲会は断トツの日本一の医療法人で、総ベッド数1万8,813床、1日平均外来患者数2万3,509人、日本の入院患者さんの1.2%は徳洲会病院で診ているといった具合で、他の医療法人の追随を許さない黒字経営を続け、世界でも冠たる地位に駆け上りました。私も12年間の滞米生活を経て、多くの病院や医療法人を見てきましたが、これほどの業績を上げ、なおかつ黒字経営を続けている例は極めて稀です。TMAT(徳洲会医療救援隊)や国際医療協力など本来の病院業務とは別に、世界規模の奉仕活動を行っているグループも見当たりません。

式典のお土産の中には『虎雄とともに』(PHP研究所刊)という本も入っていました。それは徳田先生の夫人、秀子さんの視点から見た徳洲会の変遷を描いたもので、面白かった一節が一つ。 ~世間では虎雄のことを風雲児、異端児、変わり者と呼んで特別視するが、実は当たり前のことをやろうとしている人にすぎないのである。たまたま当たり前のことをやろうとする人が極めて少ないから、彼は特別な人間だと思われてしまうのだ。人間は弱いから、数が多い方になびく。その方が安心するからである。恐ろしいのは、それが間違っていてもなびくことだ。ましてやお金を与えられ、地位を与えられ、生活の安定を与えられるとなれば、間違ったこと、自分の意に反することでも受け入れる。だが虎雄はそんな利己的な保身を一顧だにせず、一切妥協しなかった~

その通り。たとえば「救急を断らない」は、米国では言わずもがなの当たり前なのです。本部指導で「救急を断るな」と言うのは、子どもに「朝起きて学校に行きなさい」と言うのと同じくらいに当たり前のことで、本部指導の内容は、皆さんが自分の子どもに「当たり前のことをやれ」と言うのと同じなのです。徳洲会が毀誉褒貶相半ばしながら、これだけ発展したのは、どんなに代替わりしようとも、どんなに荒波に揉まれようとも、“生命だけは平等だ”、「救急を断らない」という理念を堅持し、利益を求めるのではなく、一人でも多くの患者さんを助けたいという一心で、拡大路線を取ったことに尽きると思います。

新体制となり新陳代謝が進み 徳洲会は飛躍の時期を迎える

今、新体制となり、病院の建て替えや人事の新陳代謝が進み、飛躍の時期を迎えています。気が付けば2004年に逡巡しながらも徳田先生に病院長に任命されてから、あと半年余りで20年、最古参の病院長のひとりになってしまいました。当院は新年度に増床し、680床と徳洲会最大のベッド数になります。心臓カテーテルの専門職で、病院管理の素人だった私が、病院長を長期に務まるとは思っていませんでしたが、何とか医師ら職員の協力を得て、ここまでやってこられました。

私は今でも土曜日を含めカテーテルを中心とした臨床に励んでいますが、知力、体力が続く限り、経験の蓄積を生かして若手医師を育て、かつ法人全体を盛り上げていきたいと思います。 

皆で頑張りましょう。

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