
直言
Chokugen

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直言 ~
東上 震一(ひがしうえしんいち)
医療法人徳洲会 理事長 一般社団法人徳洲会 理事長
2023年(令和5年)10月02日 月曜日 徳洲新聞 NO.1409
一般社団法人徳洲会東京本部の8時会で、看護部が徳洲会50周年に際し同部の歴史、振り返りを『徳看マガジン』で企画しているというプレゼンがありました。そのなかで「徳洲会50年の歴史を考えた時、徳田先生(現・名誉理事長)がALS(筋萎縮性側索硬化症)に倒れたことが、とても残念で痛い損失です」と率直な感想を述べたのが印象的でした。まさにその通りで、これ程当然すぎる感想を2013年の徳洲会激動時以降、公に耳にすることはありませんでした。あまりに当たり前すぎて、この表現を使わなかったのか、見えない意思が働いていたのか知る由もありませんが、私たちにとって徳田先生との意思疎通が完全に不可能になった時点で、偉大なる才能を失ったことは事実です。私が副理事長であった19年に、ある経営コンサルタント会社が主催する会で、徳洲会の医療の現状を紹介する機会がありました。その懇親会で他の医療グループ理事長から「最近、徳洲会の動きが伝わってこないが、活動が止まっているのか」と、当惑するような問いを受けたことを思い出します。「いや、徳洲会は相変わらず頑張っていますよ」との私の返答は、翌20年からのコロナ禍で、徳洲会が示したコロナへの積極的対応によって裏付けられたと思います。
しかし、徳田虎雄という巨人の意思を失った徳洲会は、外から見ると動きを止めているかのように見えた現実を私たちは受け入れる必要があります。事実、徳洲会最大の変革期であった13年以降コロナまでのほぼ7年間、徳洲会は停滞期に入ったかのようでした。外向きの目立った動きは止まり、あたかも傷を癒すかのような内向きのベクトルに仲間の意識が終始しました。20年になって当時の安富祖久明理事長(現・最高顧問)による徳洲会の理事長選のあり方や任期など、基本的な制度規定が初めてなされてから、徳洲会は本来の姿を取り戻したと感じます。
病気で苦しむ人や社会的弱者を救うために医療者が精一杯の汗をかく創業の精神は、何も変わらず受け継がれています。阿りを廃し新しい才能を見出し適切な信賞必罰を行う。理事長の役割は人材登用とグループの方向を指し示すことです。若い才能や新しい才能が頭を押さえ付けられるのではなく、のびのびと活躍できる徳洲会でありたいと願っています。徳洲会創成期を支えた仲間は、ほとんどが30~40代の医療者であったことを思い出してください。彼らは医学的な業績もバックボーンもない立場でしたが、やる気と夢があり、努力と才覚次第で“何でもやれる”との意欲に溢れていたはずです。徳洲会には今、この若々しい溢れんばかりの情熱が必要です。私たちは何にでもなれるはずです。多様な手法で仲間を増やし、徳洲会をさらに拡大していく方針です。一人でも多くの人を幸せにすることが、徳洲会という社会運動の究極の目的なら、箱庭的な成功は、その終着点に成り得ないはずです。
独立独歩の私たちにとって運営上の数字の辻褄合わせは、何より重要なことですが、経済的な束縛により、理想や考え方が矮小化してしまう事態こそ恐れるべきです。“夢、希望、ロマン”を追い求めるなら、まずグループ全体の8割に及ぶ医業利益を確保している超規模病院の機能を、さらに強化する必要があります。直截的には許可病床の95%を稼働させ、特定ベッド比率を10%以上(徳洲会医事部会が示す指標)に引き上げ、さらに救急入院率40~50%を達成する努力です。人件費比率増加の構造的な意味は、医業収益の伸び悩みが、その本態です。多くの困難がともないますが、各超規模病院での取り組みをお願いいたします。
次に重要な点は、グループ間の人材交流の活性化です。地域の中核病院として成長している病院も、自助努力に加えグループ、ひいては多くの仲間の支えがあったからこそ、成功したことを忘れないでください。巡回指導で訪問する病院には、あと数人の先生の充足があればとの思いを強くすることが少なからずあります。これが徳洲会の弱点でもありますが、人材交流というスタッフ応援で克服可能と考えます。弱い仲間を助けることは、徳洲会の文化でもあります。徳洲会という共同体で手に入れた幸せは、多くの仲間と共有すべきです。皆で頑張りましょう。