徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

髙力 俊策(こうりきしゅんさく)湘南藤沢徳洲会病院(神奈川県) 院長

直言 生命 いのち だけは平等だ~

髙力 俊策(こうりきしゅんさく)

湘南藤沢徳洲会病院(神奈川県) 院長

2021年(令和3年)5月10日 月曜日 徳洲新聞 NO.1286

「ピンチはチャンス」と捉え
変化恐れず柔軟に攻め続ける
夢は職員の子どもが皆に自慢できる病院へ

宗像(むなかた)博美前院長から後任拝命のお話をいただいた際、即答できず凍り付いたのを思い出します。一日のほとんどを手術室で過ごし、各委員会・会議に参加せず、多忙を言い訳に院内ルールを破ることも多い私が、院内の見本となるべき職務を全うできる自信はありませんでした。1999年、茅ヶ崎徳洲会総合病院(現・当院)に就職した私にとって、院長とは一般社団法人徳洲会の福島安義・副理事長であり、当院の亀井徹正(てつまさ)総長であり、医療法人沖縄徳洲会の篠崎伸明・副理事長でした。錚々(そうそう)たる先駆者に比べ、あまりに貫目が違う私が1200人以上の職員を抱える当院の舵(かじ)取りなどできるわけがないと思いました。

「断らない医療」を骨の髄まで叩き込まれた自負

ただ唯一、徳洲会の〝生命だけは平等だ〟の理念の下、「断らない医療」を死守する姿勢を骨の髄まで叩き込まれ、誰にも負けないほどHardな生活を送り、外科部長になった自信だけはありました。理念を見失わず、がむしゃらに頑張れば、手を差し伸べてくれる仲間がいる確信もありました。院内一立派な医師になることは無理でも、院内一身を削り雑務をこなせば、院長として認めてもらえるのではと決意を固めました。

今年1月に就任し、毎日朝礼で立派な格言を話そうと思っても、笑いを取ってしまう私の頰を叩いたのは、院内クラスター(感染者集団)の発生でした。毎日増加する感染者と濃厚接触者、目に見えないウイルスの脅威に震えました。日々変化していく医療環境と噴出する新たな問題――「これは災害なのだ」と認識を切り替えた瞬間、頭の霧が晴れました。私はTMAT(徳洲会医療救援隊)の先遣隊として国内外での災害支援活動を指揮した経験があります。これをもとに院内対策本部を立ち上げ、各部署責任者と毎日2回ミーティングを行いました。災害対応時には情報管理の手法として「クロノロジー」という経時活動記録を作成します。これをホワイトボードに作成し情報の整理と共有を行い、院内メールと病院ホームページで情報発信に努めました。ピンチはチャンスと言いますが、院長就任早々、当院を襲ったクラスターは各部署職員と連携を密にする好機となりました。

それまで当院は40床のコロナ病棟を常設し、数カ月にわたり有志職員に神経をすり減らす生活を強いており、その献身的な姿勢に今も尊敬の念を抱かずにはいられません。院内クラスターでさらに大勢の濃厚接触職員と感染患者さんが発生し、クラスター病棟の運営継続を余儀なくされました。毎日の鼻腔(びくう)検査に加え、他職員と隔離され院内行動も制限されて、つねに自分がいつ発症するかわからない恐怖のなかでの業務は、想像を絶します。しかし、クラスター終息後、当該病棟職員のほとんどがそのままの部署で勤務継続を希望したことを知り、涙が出るほど感動しました。コロナ禍という災害は多大な辛い(つらい)状況を生み出し続けていますが、一方で感染対応力、問題解決力、部署を越えた結束力を高め、我々をより強く進化させていると実感しています。

マンパワー不足に苦しむ仲間たちを応援する使命

当院は湘南という自然豊かで、都心からも近くJR辻堂(つじどう)駅とショッピングモールに隣接する好立地にあります。毎年、多くの学生が病院見学に訪れ、今年は15人の初期研修医、20人の専攻医とスタッフ医師を迎えました。徳洲会歴20年を超えた私には、離島・へき地で限られた人手と押し寄せる業務量に悔し涙した経験があります。恵まれた当院は人を集め鍛え、人員不足に苦しむ仲間たちを応援する使命があり、より強い組織になる必要があります。職員満足度向上のため資格取得や院内教育を担う人材育成センターを開設。外来は手狭になり、拡張して管理棟増設を予定しています。全職員が利用でき、来院患者さんの託児サービスも可能な院内保育園の充実も急務です。

到達すべき目標は、はるか遠く問題は山積みです。先輩院長方に比べ、若輩者ではありますが、「ピンチはチャンス!」──変化を恐れず柔軟に攻め続け15年後には理想の院長になることを企んでいます。昨年、地区医師会に加入し、より一層の地域貢献を目指します。私の夢は職員のお子さんが「うちの親は、あの病院で働いているんだ!」と皆に自慢できるようになることです。皆で頑張りましょう。

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