徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

岩井 敦志(いわいあつし)全南病院院長(大阪府)

直言 生命 いのち だけは平等だ~

岩井 敦志(いわいあつし)

全南病院院長(大阪府)

2020年(令和2年)8月24日 月曜日 徳洲新聞 NO.1250

前診療体制を継続し地域密着の医療維持
コロナ禍に直面するなか一層の経営努力
2019年12月に徳洲会の一員としてリスタート

全南病院は2019年12月1日付で医療法人徳洲会の一員となりました。私はこれにともない院長に就任しました岩井敦志と申します。今回、初めて「直言」に登場することとなりましたので、まず私のプロフィールや自院の現況、課題などについて、ご紹介したいと思います。

私が医師を志すことになったのは、亡父の強い希望に加え、私が高校3年生の折、故あって幼少時から秘かにライバル視させていただいていた方が関係しています。湘南鎌倉総合病院院長代行の小林修三(しゅうぞう)先生が浜松医科大学に入学されたことに触発されたのです。「ならば私も」と、一浪後に何とか大阪大学医学部に入学しました。

1982年の卒業時に進路を決定する必要がありました。基礎医学や内科系、外科系でも脳神経外科や心臓血管外科は私には向かないと考え、一般外科に進もうかと思いましたが、当時は、がん患者さんに手術をしても治らないと考える人が多く、私もそのひとりでした。そこで選択したのが、いまだ全国的にも珍しかった救急医学でした。

固い握手とともに「愛だ!」 徳田・元理事長が背中を押す

当時、大阪大学医学部附属病院には特殊救急部があり、患者さんは外傷が主体でした。健康な方が朝、「行ってきます」と言って、元気良く出かけたのに、事故などで命を失うという理不尽に対抗することができれば素晴らしいと思い、特殊救急部に入局しました。

卒後1年目は研修医として重症頭部外傷、胸腹部外傷、熱傷、中毒、敗血症、ガス壊疽(えそ)や破傷風など特殊感染症、重症呼吸不全や急性腎不全などの診療に従事し、当直業務やバイト当直など、現在の「働き方改革」からは考えられない過酷な生活をしていました。

外傷対応に必須であると、2、3年目は一般外科で、4年目は脳神経外科で研修を行い、5年目に復学後は上級医として研修医とともに前述の病態に対応しました。交通事故や労災事故に加え、反社会的勢力の抗争にともなう銃創・刺創も経験しました。7年目には論文博士となり、経済的困難はあったものの2年間の米国留学も果たしました。

帰国後は大阪大学医学部救急医学教室で助手をしていましたが、95年に阪神・淡路大震災が発災し、患者さん対応に加えて震災後のさまざまな調査に忙殺されました。

教授が代わり、96年に兵庫県立西宮病院救急医療センター、98年には大阪府立病院救急診療科に異動となり、同科の部長が代わったことをきっかけに、2004年7月に八尾徳洲会総合病院救急総合診療部に入職、部長に就任しました。私の背中を大きく押したのは、徳洲会の元理事長である徳田虎雄先生との出会いでした。いくつかの徳洲会グループ病院を見学後、東京本部でお会いした際、今から考えるとご病気でお体が不自由になり始められていたのだと思いますが、それでも立ってお見送りくださり、固い握手とともに「愛だ!」と言われたことに大変感銘を受けました。

幅広く対応できる救急に変化 地域のため刻苦勉励惜しまず

八尾病院入職後の救急外来では、それまでの救命主体の三次救急とは異なり、搬送患者の内訳に、めまい、鼻出血、尿管結石、過換気症候群がこれほど多いのかと驚かされました。09年の新築移転後は広々とした救急外来となり、電子カルテも充実、環境はかなり改善しました。その後も救急外来対応を継続し、18年6月に副院長に就任、19年12月に全南病院院長に就いた次第です。

当院は地域医療主体の60床の小さな病院です。前病院長、前副院長、常勤医の3人と看護師23人がそのまま残留するところに、徳洲会から私と看護部長、事務長の3人が落下傘の形での再出発です。地域に密着した医療の展開を保つために、前診療体制を続行することにしました。しかし、やや変則的な体制のため、当方の思うように軟着陸できていませんが、早晩、着地点を見出していく考えです。

コロナ禍も大きな問題です。新体制後は減収が続いているのですが、すべてコロナ禍の影響との言い訳が通用するはずもなく、我々の一層の経営努力が求められているものと反省しています。徳洲会への入職を機に私自身は“救命の救急”から“急患に対応できる救急”へと変化しましたが、今後も地域医療を主体に刻苦勉励してまいる所存です。皆で頑張りましょう。

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