直言
Chokugen
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直言 ~
鈴木 隆夫(すずきたかお)
一般社団法人徳洲会理事長
2019年(令和元年)7月29日 月曜日 徳洲新聞 NO.1195
長年苦しんできた脊柱管狭窄(せきちゅうかんきょうさく)症の症状が悪化し、昨夏、とうとう車いすの世話になるに至り、手術を受けることを決意しました。理事長として出入りする徳洲会グループの病院に、一患者として入ると、見える世界がまったく異なりました。
まず、ふだんは気付かない、さまざまな事柄が気になりました。10mの距離をひとりで歩けない状況でしたから、トイレに手すりがないことに不便を感じ、少し勾配が急な階段はきつく、車いすでは絨毯(じゅうたん)敷きの廊下は移動しづらかったです。またストレッチャーに乗って仰向けで廊下を移動していると、ふだんはまったく見ることもない天井のしみやカビを見て、気分が落ち込みました。さらに病室に出入りする職員の説明が頭の上を通り過ぎているように感じ、病人の心には届き難いものでした。
病院でのサービスは、しばしば患者さんの隠された部分にまで遠慮なく立ち入ります。患者さんは痛みを抱え、恐怖に駆られ、時には諦めにも似た絶望感を抱いています。このような顧客(患者さん)と接する仕事には、本当に心ある従業員を見つけ出して担当させ、さらに職場に定着させることが不可欠です。
私たち徳洲会は優れた人材を引き付けることができているでしょうか。優れた人材が徳洲会の価値観の実現のために献身し、使命をもって働くことができているでしょうか。彼らが働き続けたいと思う組織であるために、環境や制度を見直し、整備する必要性を切に感じています。
徳洲会は“生命だけは平等だ”という理念の下、「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会」の実現を高く掲げ、行動の規範とし、民間最大の非営利の医療グループに成長しました。「断らない医療」はその象徴であり、1973年の徳洲会創立以来、私たちは理念実現のために、さまざまな困難に果敢に挑戦してきました。その結果、「患者中心の医療」を経験された患者さんの感謝の声が、口伝えで広まり、最初は数人、そして数百、数万人と拡大しながら、46年の時を経て、徳洲会の救急医療がブランド価値として高まったのです。
徳洲会は「医療は患者さんのため」という文化・精神を共有できる医療者を引き寄せ、彼らが次代を担う若者を教育することで、脈々と支えられてきたのです。約3万4000人の職員すべてが、同じように理解していないかもしれませんが、決して徳洲会の価値観は、ぶれることはありません。私たちの信念や使命感は、高い志や考え方によって、生かされているからです。徳洲会に集うあなたは、その価値観に適合しているか、もし適合できなければ徳洲会を離れるしかありません。
救急医療を原点のひとつとする徳洲会は、生きてさえいれば良いことがあると信じ、「生きること」に希望を与えるために闘ってきたとも言えます。私たちにとって「生」は勝利で、「死」は敗北を意味してきたようにも思えます。しかし時代は大きく変わりました。超高齢社会の到来とともに、以前にも増して死を意識せざるを得ない今、どうしたら人生の終わりに「生きていて良かった」と思える社会をつくることができるか。グループを挙げて考え抜き、実践することが重要です。
世界に先駆けて少子高齢化の道を突き進む日本では、それぞれの地域で、医療だけではなく、介護・福祉サービスまで含めた地域包括ケアの提供が求められています。急性期病院を中心に医療機関と密接に連携した高齢者施設、在宅医療を実践するための訪問看護・訪問介護サービスなどにより、看取りの医療を充実させることで、病院単体では成し得ない地域のトータルヘルスケアが実現します。徳洲会の医療・介護・福祉サービスを中心としたコミュニティを形成するため、次の10年をかけた仕事が始まろうとしています。
100年にわたる人生を笑って過ごし、死に向かう時間さえ希望に満ちたものに変えられるのは、社会、コミュニティとかかわりながら、自分の人生を主体的に生きてこそです。慣れ親しんだ地域で、親しい人々に囲まれ、最期の時を過ごし、見送られることを、皆が当然のこととして享受できる社会をつくっていくために、徳洲会はどう貢献できるのか――。
皆で頑張りましょう。