徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

中山 義博(なかやまよしひろ)(大隅鹿屋病院院長(鹿児島県))

直言 生命いのちだけは平等だ~

中山 義博(なかやまよしひろ)

大隅鹿屋病院院長(鹿児島県)

2019年(令和元年)7月22日 月曜日 徳洲新聞 NO.1194

最大の目標は大隅半島での医療完結
地域トップの実力を付け教育に注力
研修医の能力・特性・将来展望を考慮し指導

大隅鹿屋病院は大隅半島で唯一の基幹型臨床研修病院で、最大のベッド数、医師数を有しています。近隣医療機関からの信頼も厚く、紹介患者数はここ数年、右肩上がりです。とくに重症患者さんは優先的に救急搬送され、結果的に救急患者さんの80%近くは入院となるほどです。現在では“大隅半島最後の砦(とりで)”としての機能を果たせていますが、ここに至るまでには大変な苦労と時間を要しました。

1998年、私は熊本市にある熊本中央病院の心臓外科に勤務していました。ある日曜日の早朝、出勤していた私に他院から連絡が入りました。電話交換手によれば急性大動脈解離の患者さんで、血圧が下がり緊急手術が必要、すぐに搬送したいとのこと。私は病棟で処置中だったこともあり、相手の病院名も聞かず「とにかく早く送ってください」と交換手に伝えました。

病院挙げて各種専門医や指導医の資格取得を推奨

熊本中央病院は九州の中央に位置し、ほとんどの急患は救急車で1時間以内に搬送されていました。ところが、この時は3時間待っても患者さんが到着しません。昼を過ぎ、ようやく救急車が到着、私は同乗してきた医師に「もっと早く患者さんを送れる病院はありませんでしたか」と聞きました。しかし「私の病院の心臓外科の急患は、いつも熊本の病院に送っています。搬送はいつもこれくらいかかります」との返事。この患者さんを送ってきたのが、まさに大隅鹿屋病院だったのです。当時、大隅半島に心臓外科を有する病院は皆無。交通網も整備されていなかったため、200㎞以上の道のりを3時間以上かけ搬送せざるを得ない状況でした。

この5年後、縁あって私は大隅鹿屋病院に赴任。大隅半島は鉄道、高速道路がなく鹿屋市から空港まで80㎞の距離。まさに“陸の孤島”でした。私がまず思ったのは、医療を大隅半島で完結する必要性でした。重症患者さんが遠方の病院を受診するのは、家族を含め大変な負担になるからです。

当院に心臓血管外科チームが開設されて以来、同科領域に関しては急患を含め当院で治療できるようになりました。しかしながら私の赴任前、常勤医はわずか4人。当時の井戸弘毅(こうき)院長(現・名誉院長)と医師確保に動き始めても、なかなかうまくいきません。陸の孤島が思った以上のハンデとなったのです。

そうしたなか、2004年度にスタートした新医師臨床研修制度が追い風になりました。医師確保には、探し出すより、つくり出すほうが良いと考え、田村幸大(ゆきひろ)副院長を中心に研修医の確保、教育に力を入れることにしました。05年から初期研修医を獲得。しかし、現実は甘くなく、後期研修医として当院に残る医師はほぼいませんでした。

現実を目の当たりにし、研修医を集め残すには、まず病院自体が地域でトップクラスの実力を付ける必要があると判断。先輩医師が自ら自己研鑽(けんさん)に励み、臨床能力の向上だけでなく各種専門医や指導医の資格取得に努め、病院を挙げて、それを推奨する仕組みをつくりました。内科、外科、総合診療科の専門研修プログラム基幹施設の認定も取得。とくに外科の認定病院は鹿児島県内で当院と鹿児島大学病院のみです。

初期研修医が半数以上残り常勤医数は30人にまで増加

専門医のみならず医学博士号の取得にも力を入れ、田村副院長が激務のなか、当院に在籍したまま鹿児島大学で医学博士号を取得、現在も2人の医師が取得予定です。今では、へき地にある当院でも各種専門医、指導医、医学博士号を取得できる雰囲気が醸成されています。また初期研修医枠が最大5人という少なさもあって、研修医一人ひとりの能力、特性、将来展望を考慮したきめ細かい指導ができています。この結果、徐々に研修医が残り始め、内科は田村副院長を筆頭に8人全員が当院で研修を行った医師で固められています。ここ数年は初期研修医の半数以上が後期研修医・専攻医として残るようになり、常勤医もまだまだ十分とは言えませんが、30人にまで増加しました。

しかし課題は残っています。救急医療に不可欠な脳神経外科医、整形外科医の不足です。幸い周辺医療機関との連携で地域住民の方々には、さほど迷惑はかけていないと思われますが、当院で医療を完結できれば理想的で、それを目指して頑張っていきたいと考えています。皆で頑張りましょう。

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