徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

三角 和雄(みすみかずお)(千葉西総合病院院長)

直言 生命いのちだけは平等だ~

三角 和雄(みすみかずお)

千葉西総合病院院長

2019年(平成31年)4月15日 月曜日 徳洲新聞 NO.1180

強いリーダーシップと高いモチベーション
病院が生き残り良い医療を続けるための要
いかにして当院は復活を遂げたか―Episode2

福井県福井市からJR 越美北(えつみほく)線で山奥へ1時間ほど行ったところに、大野市があります。そこは平家ゆかりの武士の里と言われ、街が碁盤の目のように区画化されており、「北陸の小京都」とも呼ばれています。湧水が豊富で自然に恵まれ、市内の亀山の山頂には、織田信長の家臣、金森長近(かなもりながちか)が建てた「雲海の城」として有名な越前大野城があります。鈴木隆夫理事長の故郷は、この大野市で、お父様は開業医をされていましたが、太平洋戦争の最中、フィリピンのレイテ島で海軍軍医として赴任中、戦死されたそうです。

当院の医局での会話中、「自分は福井の山奥から来た田舎者やからな」と言われましたが、それを聞いて私は大変驚きました。私の母方の実家も大野市で、鈴木理事長の実家から直線にして300mの距離でした。私の叔父も、日本海軍が劣勢を跳ね返し、米国艦隊を撃破したガダルカナル島近くのルンガ沖夜戦で、敵の攻撃を一手に引き受け沈没した駆遂艦「高波」の数少ない生き残りの一人でした。さらに先祖を辿ると鈴木理事長が遠い親戚であることもわかりました。当時の徳田虎雄理事長から言われて、当院に院長として赴任されてきた鈴木理事長と、米国から帰ってきた私とが偶然、邂逅(かいこう)したのです。

少しでも努力を怠ると倒産の憂き目に遭うことは自明の理

遠い親戚であり、しかも同様に米国帰りだから、さぞかし気が合ったのだろうと思われるかもしれませんが、全く違います。総論賛成、各論反対で意見がいつも一致したとは、とても言えません。それでも「救急は断らない」、「真摯(しんし)に医療に取り組む」、「研修医から医師を育てる」という大同の目標は一致していたので、さまざまな議論を交わしながら今日まできました。

最近、『週刊東洋経済』に徳洲会グループの経営状態が際立って良好だということが掲載されました。潰れる寸前だった徳洲会が、年間収益4500億円、職員数3万3000人、利益率5%をはるかに超える大組織となり、民間医療グループでは全国一位にまで発展、お荷物だった湘南鎌倉総合病院、千葉西総合病院は2トップとしてグループを牽引しています。ちなみに、20年以上前に両院の閉鎖を迫った銀行の役員A氏は、今も当院を受診されています。

「勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けなし」

両院がなぜ発展してきたかという点ですが、リーダーシップを発揮する人物が必ず一人いたからだと思います。徳洲会のような民間病院は、公的資金で成り立つ大学病院や公立病院とは異なり、誰も守ってはくれません。国からの補助金もなく、米国の病院のような寄付も望めません。自分たちで必死に働き、良い医療を提供して、それで収入を得て職員の給与を払い、税金を払い、余ったお金で設備投資をし、生き残っていく必要があります。少しでも努力を怠ると、倒産の憂き目に遭うことは明白です。このような状況をよく理解し、高いモチベーションを維持していくためには、強いリーダーシップが不可欠です。

私は戦史オタクで、いろいろな歴史上の戦いを検証しています。プロ野球の野村克也・元監督は「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という名言を残されましたが、失敗や業績の悪化には理由があるものです。太平洋戦争中のミッドウェイ海戦で、絶対勝つはずだった日本海軍が敗れたのは、①「どうせ勝てるだろう」という慢心、②指揮官の判断ミス(いたずらに甲板上で爆弾と魚雷を取り換え続けた)、③上司(空母・赤城にいた南雲・司令長官)が部下(空母・飛龍にいた山口少将)の「このままでは危険です」という意見具申を聞かなかった、④通信能力の欠如(偵察機からの連絡ミス)、すなわちコミュニケーション能力の欠落――などが絡み合ったからで、良きリーダーであれば、そうしたミスは防げたはずでした。

強いリーダーシップを維持し高いモチベーションを保っていくことが、いかに大切かということを、この20年間学んできました。これからの医療界は、さらに難しい局面を迎え、病院がどんどん淘汰(とうた)されることが予想されます。このような状況で、病院が生き残って良い医療を続けるには、強いリーダーシップが必要不可欠です。若い世代の職員の方々には、そのようなリーダーシップをもつ人物になっていただきたいと真に願っています。皆で頑張りましょう。

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