徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

朴澤 憲和(ほうざわのりかず)(加計呂麻徳洲会診療所(鹿児島県)所長)

直言 生命いのちだけは平等だ~

朴澤 憲和(ほうざわのりかず)

加計呂麻徳洲会診療所(鹿児島県)所長

2019年(平成31年)3月18日 月曜日 徳洲新聞 NO.1176

美しい島の尊い患者さんが教えてくれた
地域医療・離島医療の実践で大切なこと
他職種や患者さんに敬意と感謝をもち協同

今回、「直言」を執筆する機会をいただき、若輩者ゆえ固辞すべきか悩みましたが、せっかくの機会ですので、自身の経験を少し述べさせていただきます。

私は北海道帯広市で生まれ育ち、大学、初期研修、後期研修時代をいずれも大阪で過ごしました。学生の時から病歴聴取や身体診察を重視した診療に興味をもち、初期研修を終えた後は市立堺病院(現:堺市立総合医療センター)で内科専攻医として勤務後、2013年4月より鹿児島県奄美大島の瀬戸内町にある瀬戸内徳洲会病院に入職しました。

その後、近くの加計呂麻(かけろま)徳洲会診療所の診療にもかかわるなど変遷を経て、現在は加計呂麻診療所の所長として週3回、外来と訪問診療を行い、同診療所の診療日以外は瀬戸内病院に勤務しています。

一個の人間として患者さんに向き合っていく重要性を学ぶ

瀬戸内病院への赴任当時、9700人ほどいた瀬戸内町の人口は、19年1月末には8814人と、年々減少しています。また、16年12月から奄美ドクターヘリの運航開始などもあり、奄美群島全体で救急・集中治療・高度医療の集約化や、医療体制再編の機運が高まっています。これにともない当診療所・病院に求められる役割も変わってきていると、約6年間働いてきたなかで感じます。

地域の医療提供体制や、求められる役割の変化は、今後、日本全国で起こり得ると推察しますが、そのなかでも変わらず大切なものと、変わるべきものとを見極め、実践していくことが重要になるでしょう。私が瀬戸内町の地域医療に従事してきたなかで印象深かったエピソードがあります。

慢性疾患をもつ高齢の女性で、病状は安定していたものの、足腰が悪く、歩行が不安定な方がいました。当時、まだ島に来て数カ月目の私は、病院や診療所での医療や、施設への入所よりも、在宅医療が「地域において正しい医療」というイメージをもっていました。このため患者さんに訪問診療への移行を勧めました。しかし、患者さんは外来通院を希望されました。

何度目かの受診の時、あらためて「その足で診療所まで来られるのはつらくないですか? お宅までうかがいますよ」と聞くと、患者さんは「お気持ちは嬉しいです。でもね、私にとっては診療所に毎月行き、診てもらって、看護師さんやお友だちと待合室で会って話をして、終わってから近所で買い物をするのが生きがいなのです。来られる間は頑張って来たいのです」。

その言葉を聞いて、私は患者さんの思いを十分に聞かず、自分の価値観を押し付けていたのではないかと反省しました。

また、同じ集落にいたとしても、外出が難しくなると、何かの機会がなければ、なかなか友人や知人に会えないという事実も知りました。

あらためて病気だけでなく、患者さんをひとりの人間と捉え、向き合っていくことの重要性を学びました。ほかにも施設に入所した後から「じつは家での生活は無理していてつらかった。ここは友だちも若い職員もいて、空調もあるし、今のほうが幸せ」と笑顔で述べられた方や、逆になかば強引に施設から在宅復帰した後、満面の笑顔で生活されている方もおられました。

自分の言動が傲慢ではないか 価値観を押し付けていないか

離島やへき地など、医師が少ない環境では、医師と患者さんの関係が密で、やりがいも多い反面、独善的、傲慢になる可能性もあります。これまでの経験から、自分の言動が傲慢でないか、価値観を押し付けていたり、排他的になったりしていないか、つねに注意する必要があると感じています。そのためにも、他の医師や他職種、患者さん、ご家族と対話・議論し、敬意と感謝をもって協同すること、そして自分自身を俯瞰(ふかん)することが、地域で働く医療者に重要な能力であると考えます。

瀬戸内町は海をはじめ美しい自然が有名ですが、他者を思いやり、故郷と自然を愛し、日々生活されている町の患者さんの生き方や心配りも、美しく尊いものです。もちろん、つらい時もありましたが、6年間このような美しさに囲まれた環境で、働くことができたのは光栄ですし、患者さん、地域の方々、支えてくださったすべての皆様に本当に感謝しています。

離島医療、へき地医療は徳洲会の、そして医療の原点です。これからも皆で頑張りましょう。

PAGE TOP

PAGE TOP