徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP 45th

直言

Chokugen

加納 宣康(かのうのぶやす)(千葉徳洲会病院院長)

直言 生命いのちだけは平等だ~

加納 宣康(かのうのぶやす)

千葉徳洲会病院院長

2018年(平成30年)3月19日 月曜日 徳洲新聞 NO.1125

新人は環境のすべてが勉強の種
悲運にあってもそれを糧に成長
今でも忘れられない意地悪な指導医

4月は新入職員を迎える時期です。今、働いている徳洲会グループの職員の皆さんにも新人の時期があったと思います。医師、看護師、各種メディカルスタッフ、事務職などすべての職種の皆さんに、学校を出て初めて職に就いた時の興奮、不安、期待、その後に経験した幸せ、絶望、屈辱があったことと思います。

私にも苦しい新人時代がありました。多くが親切な指導者でしたが、今でも忘れられない意地悪な指導者もいました。結論を言いますと、どんな人からも何か学ぶことがあり、職場で出会うすべての人々が、自分の先生であったと思っています。

私は岐阜大学医学部卒業後、外科医を目指して大学の外科学教室に入りました。同期入局の新卒医師は7人いました。入職すると、新人医師を直接指導する役目の先輩医師が決められ、その医師の下で右も左もわからない新人が研修を始めるのです。

尋ねるも口を利いてもらえず〝観て学び取る方法〟を体得

初出勤日に、それぞれの新人医師と指導医の組み合わせが発表されました。私の組み合わせが発表された時に、多くの職員から爆笑に近い笑いが起きました。私は不思議に思っていましたが、1週間も経たないうちに真相がわかりました。

私の指導を行うA医師は、病院内で大変問題のある人で、この医師の下に、どの新人を付けるかで大変な議論がなされたそうです。「A医師の下に付けられたら、普通の奴ならすぐに逃げ出すか、けんかして脱藩(退局)してしまうだろう。A医師の下に入れられても耐えていける新人は誰か」という話し合いが医局でなされ、全員一致で「加納しかいないだろう」との結論に至ったと、組み合わせの1カ月後に知らされました。

私は毎朝、一番に出勤して「A先生、今日はどうしたらよろしいでしょうか」と尋ねるのですが、先生は何も言わずにプイッと横を向いて、どこかに行ってしまわれるのです。日に何度も尋ねますが、一向に口を利いてもらえません。

その他の先輩医師たちが、数日後には見かねて、いろいろな手技を自分の担当研修医に教える時に、「加納君も一緒にいていいよ」と誘ってくださるようになりました。私は声をかけられる前から、他の研修医たちが指導を受けているのを脇で観ながら学び取っていましたが、正式に同伴のお許しを得て、ほっとしました。

私は同期生のなかで「オレこそ一番優秀な研修医だ」と自信をもっていたため、A医師のイジメにも耐えることができ、いろいろな知識・手技を盗み取ることができました。これは後に、自分で直接手を下せなくても〝観て学び取る方法〟を体得することにもつながりました。

苦しい最初の2カ月乗り越え人間的にも医師としても成長

入職後2カ月が過ぎた頃、医局長と病棟医長に「加納、ちょっと話がある」と呼ばれました。とくに緊張することもなく講師室に行くと、「君には入職後、大変つらい思いをさせて申し訳なかった。じつは医局の事情から、A医師を切る必要があったのだが、何かもうひとつ決定打が必要だった。そのため、最後のチャンスを彼に与えることにし、研修医の指導ができるかどうかを見ることにしたのだ。皆で相談した結果、並みの研修医では彼の下では耐えられないことが明らかだったので、それに耐えられる者は誰かと協議した結果、申し訳ないと思いつつ、加納しかいないという結論になり、君に過酷な経験をさせてしまうことになったのだ。本当に申し訳なかった。それにもかかわらず、君は一番実力を付けてくれた。評判以上の大物であることがわかった。ありがとう」と言われました。

その頃には、私の耳にも、いろいろな人から医局人事の情報が入ってきていたため、「やっぱりそうだったのか」と思うにとどめました。ずいぶん苦しい最初の2カ月でしたが、そのおかげで、自分は人間的にも外科医としても大きく成長できました。悲運に見舞われても、それを栄養に成長しようとする姿勢を体得することができたのです。

じつは、卒後数年で米国に留学する予定であった私の人生計画が、ベトナム戦争によって大きく変わりました。それについては、あらためてお話ししたいと思います。新人は職場環境のすべてが勉強の種であるという心構えをもってください。

皆で頑張りましょう。

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