徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP 45th

直言

Chokugen

荻野 秀光(おぎのひでみつ)(成田富里徳洲会病院院長(千葉県))

直言 生命いのちだけは平等だ~

荻野 秀光(おぎのひでみつ)

成田富里徳洲会病院院長(千葉県)

2018年(平成30年)3月12日 月曜日 徳洲新聞 NO.1124

地域に安心・安全・高質の医療・介護
「医師は天職」と自負し理念実現へ努力
SSAは広い視野もった土台構築にこだわり

今冬は、寒波の到来による記録的な大雪のニュースが連日報じられ、積雪に備えのある北陸地方でも車の立ち往生など多くの被害を受けましたが、不謹慎にも私には懐かしい風景でした。

私の故郷の新潟県妙高市赤倉温泉は“越後富士”の異名をもつ妙高山の山腹に位置する豪雪地帯。3mを超える積雪も珍しくありません。1970年にスキー旅館の次男として生を受け、幼い頃から家業の手伝いをさせられ、旅館の女将や番頭が真心と気遣いで、お客さんをもてなし、再び来館していただけるように汗水流して働く姿を見ながら育ちました。今思えば、私のホスピタリティー精神はここで培われたのかもしれません。

同期の14人は半年後に半減 今残っているのは2人のみ

中学2年生の頃、父が心疾患で入院しました。大事に至らなかったものの、退院してくるなり「お前は医者になれ!」と唐突に命令されました。旅館の経営者だった父は、当時の病院のサービスの悪さが、よほど気にいらなかったようで、息子を医師にしてホテル並みのサービスが受けられる病院を経営する夢を抱いたようです。勉強嫌いの私は抵抗しましたが、同じ頃に最愛の祖母が脳梗塞で入退院を繰り返すようになり、医師を目指すことに。ただ、父の夢は、あえなく消えてしまいました。

徳田虎雄・徳洲会前理事長が医師を目指す契機となった崇高な逸話に比べ、私のそれは何とも受動的で取るに足らないものです。しかし、今では「医師は天職」と自負し、徳洲会の一員として理念の実現を目指す道以外は想像もできず、このようなきっかけを与えてくれた父には感謝しています。

大学時代は、ラグビーに没頭しすぎたおかげで医学の学習時間を失いましたが、激務に耐える心身と一生の仲間と〝One for All, All for One〟の精神を身に付けることができました。そのノリで厳しいトレーニングができる民間病院での研修を決意しましたが、6年次の秋のリーグ戦終了後に進路を考えたのでは遅すぎ、有名研修病院の採用試験はほとんど終わっていました。

たまたま大学の友人が湘南鎌倉総合病院(神奈川県)の病院実習に参加し、就職を決めたと知り、私も面接を受けることにしました。当時の相澤信行・研修管理委員長(現・静岡徳洲会病院総長)から「一度も見学しないで大丈夫か」と心配していただき、採用試験前日に半日見学して面接試験を受け、採用されました。同期は私を含め14人。研修の厳しさから半年後には半分になり、その後もほとんどが巣立って行きました。

今も残る同期は松原徳洲会病院(大阪府)の森田剛史(たけし)副院長のみ。学生時代から外科志望だった私は、湘南外科グループ(SSA)に加わり外科道の極みを追い求めました。

グループ内に限らず、全診療科に専門医がいる病院はまれであり、これは患者さんの受け入れを断る理屈のひとつになっています。SSAでは、外科修練医の4年間はグループ内の病院を半年おきにローテーションします。病院によっては、外科医としての役割以外に整形外科や麻酔の補助、救急医や総合診療医などの役割も担います。

大動脈センターやシャントケアセンター立ち上げに力

SSAは研修医のうちから診療の枠を狭めず、広い視野をもったジェネラリストとしての土台をしっかり築いたうえで、専門分野に進むことに、こだわり続けています。外科チーフを修了してからは血管外科を専門として大動脈末梢(まっしょう)血管の血管内治療も積極的に行い、湘南鎌倉病院で立ち上げた大動脈センターやシャントケアセンターには、多くの患者さんを紹介していただけるようになりました。「患者さん中心の医療」+「ジェネラルマインドをもったスペシャリスト」+「ハードワークに裏付けされた確かな技術力」が調和し、成し得た結果です。

昨年12月、私は成田富里徳洲会病院の二代目院長を拝命しました。当院の建物自体は700床超のキャパシティがありますが、現在は200床と3月にオープンした院内併設の介護老人保健施設「成田富里徳洲苑」(200床)のみです。

地域住民の方々に安心・安全で質の高い医療・介護を提供し、地域から信頼され愛される病院を目指し、成田国際空港からほど近い地の利を生かして海外からの患者さんにも利用していただき、病院を満床にするのが夢です。皆で頑張りましょう。

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