徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP 45th

直言

Chokugen

森田 信敏(もりたのぶとし)(榛原総合病院院長(静岡県))

直言 生命いのちだけは平等だ~

森田 信敏(もりたのぶとし)

榛原総合病院院長(静岡県)

2018年(平成30年)1月29日 月曜日 徳洲新聞 NO.1118

地域の方々の健康を守る責任担う
ボランティアの温かい支援に感謝
回復期リハビリテーション病棟を開設へ

「地域密着型の病院」。これは私たち榛原総合病院の特徴であり、宿命でもあります。当院の前身である国民健康保険共立榛原病院は1954年開設ですから、今年45周年を迎えた徳洲会の歴史より、長く地域の方々に「わが町の病院」として親しまれてきたのです。当院は地域に根を張るための苦労をされている他のグループ病院に比べ、恵まれていますが、逆に言えば地域の方々の健康は、私たちが守らねばならないという重い責任があるとも言えます。

地域の方々が何も迷うことなく、近くにある当院に行こうと思っていただけることが理想です。評論などで、これからの地方病院は専門外来など、何らかの特色を出さなければ生き残れないと言われて久しく、専門領域に特化した病院づくりをするほうが経営資源の集中もでき、運営は容易かもしれません。

しかし、それが本当に地域に根ざした病院と言えるでしょうか。病院生き残りの施策ではなく、地域の方々の健康を守り、「断らない医療」を実践するための間口の広い病院にする努力こそ、徳洲会が初めて指定管理者となった公立病院である当院の責務だと思っています。

地域に信頼される病院目指し医療・看護の陣容充実に注力

公設民営化以前の当院は、決して救急を断ってはいませんでした。全科を網羅して陣容も豊富だったため、当時、地元の方々は、ほとんど当院に来られていたのではないかと思います。しかし、医師数が激減、スタッフが一斉退職し、徳洲会が指定管理者となるまでの混乱期、診療機能を一時失い、それまで長い年月をかけて築いてきた信頼を失ってしまいました。いったん失った信頼を取り戻すことは並大抵ではありません。公設民営化以前の当院は、あえて言えば〝田舎の病院〟として、やや贅沢すぎる環境であったかもしれず、それが経営破綻を招いた原因のひとつだと思います。

単に間口を広くするだけでは、公設民営化以前のような赤字体質となり、その結果、経営破綻してしまっては本末転倒です。人を増やすには効率化や厳重なコスト管理が必要です。経営者である院長の私をサポートするため、高島康秀(やすひで)副院長と稲邊富實代(いなべふみよ)副院長が相次いで医療経営士3級(一般財団法人日本医療経営実践協会)の資格を取得されました。副院長やスタッフの力をお借りしつつ、総合力、チームワークで、事にあたっていきたいと考えています。

救急を断ったことがないのが誇りだと言われるグループ病院の先生のお話をうかがうたびに、悲しくなります。当地には救急に関し重傷者は地域の他の病院へ、当院は比較的軽症者を受けもつなどという役割分担もなく、限られた現有戦力で、全力で診療にあたっています。しかし、どうしてもお断りしなければならないケースがあります。

忸怩(じくじ)たる思いではありますが、地道に一歩一歩、陣容を整えていくしかありません。医師も増えており、今年は回復期リハビリテーション病棟開棟も控え、何としても成功させる考えです。

350人のボランティアが草取りや乗降介助など分担

公設民営化以前の混乱期、崩壊しかけた当院ですが、地域に根を下ろした医療に取り組んできたおかげで、地域の方々からも応援したいという声をいただいています。NPO法人「地域医療を育てる会」の代表者を招いて講演会を開き、住民の方々の先進的な取り組みなど事例を聞いたことが発端となり、「榛原総合病院をささえる会」が発足しました。徳洲会が指定管理者となって以降、同会は「榛原総合病院ボランティア連絡協議会」に名称を変え、当院の応援団として、自治会、商工会、老人会、赤十字奉仕団、女性団体など各団体に病院施設の維持管理のお手伝いに参加していただけるよう調整する組織として生まれ変わりました。昨年は15団体と約350人の個人の方々が分担し、駐車場や花壇の草取り、おむつ袋の成形、ゴミ袋の折りたたみ、玄関での乗降介助などを行っていただきました。

さらに病院祭で来場者にボランティア体験をしていただき、新たなメンバーを募り、七夕飾り、クリスマスツリーの設置、クリスマスコンサートの企画・運営などをお願いしています。

公設民営化から8年、こうしたボランティア、住民の方々に支えられ、当院がここまでやってこられたことを忘れてはなりません。

皆で頑張りましょう。

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