直言
Chokugen
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直言 ~
東上 震一(ひがしうえしんいち)
医療法人徳洲会副理事長 岸和田徳洲会病院院長
2017年(平成29年)8月28日 月曜日 徳洲新聞 NO.1097
紀元前5世紀の中国の思想家、孔子の教えを記した『論語』は、今なお人にどう生きるべきかを示す人生訓として読み継がれています。「子曰(しいわ)く、吾十有五(われじゅうゆうご)にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順(みみしたが)い、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」。
これはその中の有名な一節。孔子が生きた時代は、人の生は50年にも満たない時代ですから、人生80年から90年に届く現代に置き換えるには少し時代を引き延ばす修正が必要だと思います。
生きていくための学問の習得に励む「十有五にして学に志し」は25~26歳。生きる目的を定め、それを確固たるものにしていく努力をする「三十にして立つ」は40歳、あるいは50歳から始まる時期になります。そして、あれこれと思い迷わず定めた目標に邁進(まいしん)する「四十にして惑わず」は60歳から。何のために生きるのか、自分自身が生きることの本当の意味に思い至る「五十にして天命を知る」は70歳代の生き方となります。
徳洲会は、1973年設立の第1号病院、徳田病院(現・松原徳洲会病院)から数え今年で44年、全国70病院と340の医療介護施設、3万人超の職員を擁する規模に成長していますが、孔子の言う人生訓に当てはめてみると、青春期を越えて、ようやく「三十にして立つ」という壮年期に差しかかったばかりです。揺るぎない立ち位置を確立する必要があるこの時に、あらためて徳洲会グループの存在意義と目的を多くの仲間とともに共有する必要があると思います。
「生命にいかなる差もあるはずはなく、生命だけは平等で、そして、いつでもどこでも誰でもが最善の医療を受けられる社会の実現を目指す」という私たちの理念と行動目的は、口幅ったい言い方を許してもらうなら、疑いようもなく正義であり善であると考えています。1人の人間の行動を考える時、動機が正しさに基づいたもので、目的が善にかなうなら、その行動だけが悪になることはあり得ませんが、組織となると必ずしもそうではありません。私たちはいつもグループの判断と行動が、身びいきで独りよがりになっていないか、公平性に欠け愛情のない酷薄なものになっていないか、つねに顧みる必要があります。
徳洲会グループが行うあらゆる判断は、それをすることが患者さんのためになるのか、ならないのかが基本になっています。ですから私たちは、ヒト、モノの配置・供給が困難な状況にある離島・へき地医療を自らの原点として守り抜き、さらに発展させようと努力しているのです。
第2回の院長・副院長研修が開かれ、全国のグループ病院から33人の先生方が参加されました。理事長、副理事長、院長、グループ外講師などによる多岐にわたるレクチャーが行われ、学習ととともに出席者の懇親を深める充実した会となりました。
この会で私は講演し、厳しい医療界の荒波を乗りきっていくために必要なことは、確固たる私たちの理念という羅針盤と、嵐の海にも翻弄されない船の大きさであると結論しました。
この時、2人の院長の言葉が心に残りました。そのひとつは「組織はリーダーの器以上にはならない」というもの。これは自分自身に強く自省を促す言葉として痛切に心に響きました。若い人の意見を物知り顔で否定的に吟味する姿勢では、組織のイノベーション(革新)は望むべくもなく、努めて他の人の意見を聞き、それをくみ上げ生かそうとするリーダーの許容力が組織の成長には不可欠だというメッセージと受け取りました。
「燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」。研修会の修了書を受け取った時のある院長の言葉でした。真意は推し量るべくもありませんが、鴻鵠の志というフレーズが強く心に残り印象的でした。地方自治体や国でさえ行い得ない離島・へき地医療をグループ独自の力で維持しようとする努力、医療の助けを求める人に対しては国境を越えて手を差し伸べる姿勢。経営を度外視するような私たちの試みを理解しない人を小鳥と言うつもりはありません。患者さんへの愛、一緒に苦労する仲間への思いやり、そして人のために生きることこそが医療人の本意であるという単純すぎる原則を堅持して、大空を自由に舞う鴻鵠でありたいと思います。皆で頑張りましょう。