徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

山上 美恵子(やまがみみえこ)(岸和田徳洲会病院看護部長)

直言 生命いのちだけは平等だ~

山上 美恵子(やまがみみえこ)

岸和田徳洲会病院看護部長

2017年(平成29年)8月7日 月曜日 徳洲新聞 NO.1094

当院の大きな魅力はチームワークの良さ
東上院長は患者さんの小さな意見も重視
職員一丸となる姿は〝だんじり祭〟のよう

高校を卒業し、近隣病院の事務職として社会人の一歩を踏み出しました。先輩職員から看護師が不足しているからと看護学校進学を勧められ、22歳でチャレンジすることを決意、受験勉強を始めました。勉強は大変でしたが、数学や国語のドリルに向き合うのが妙に新鮮でした。

准看護学校に入学し、そこでの解剖学の授業で、人体の仕組みに大変興味をもちました。2年次の実習で末期がんの患者さんと出会いました。やせ衰え、痛みにあえぐその方に、病院の指導者は「つらいですね」と声をかけ、1粒の薬を飲ませました。数分後に頰に赤みが戻り安堵(あんど)の表情が浮かびました。まるで魔法かと思うほど感激し、看護の世界にはまっていきました。

卒業後、看護師を目指し国立の看護専門学校に進み、そのまま附属病院に入職。実は学生時代、岸和田徳洲会病院(大阪府)でアルバイトをしていたことがあり、入職を勧められましたが、「今日も人がいないのよね。もう24時間以上働いているわ」という病棟看護師のつぶやきに、留(とど)まる勇気がありませんでした。

入職後はいきなり看護管理者として怒濤の日々がスタート

1997年から行政改革により国立病院の独立行政法人化政策が打ち出され、2000年の行政改革大綱で04年に移行が決定。経営管理などまったくない病院のあり方にうんざりし、転職を決意しました。

02年1月、岸和田病院に入職。面接で「給与が合わないから主任をしてもらう」と言われ、「管理の経験がありません」と返しましたが、「大丈夫」のひと言。てっきり師長がいると思って病棟に初出勤すると、「よろしくお願いします」と可愛い副主任さんが挨拶してくれました。「師長さんはどちら」と尋ねると、明るい笑顔で「いません」。そこから私の看護管理者としての怒濤(どとう)の日々が始まりました。

02年10月には新築移転を控えていました。病棟業務、管理業務、移転準備と寝る間も惜しむ日々。ようやく引っ越しがすんだと思うと次は「病院機能評価受審」が待っていました。

03年5月に熊野二三枝・看護部長が就任。厳しかったですが、看護管理、経営管理の教科書のような方でした。セピア色に染まった看護基準や手順書の改訂、教育プログラムの立案、看護部組織の変革と次々にアクションプランを実践されました。

部長命令により看護部教育責任者と医療安全リスクマネジャー(専従)を経験。06年6月には早々に7対1看護配置基準を取得しました。

この当時の経験があったからこそ、現在の私があるのだと思います。入職5年後、待っていたのは看護部長という重責で、07年1月から任に就きました。

徳田虎雄理事長(当時)と面談した際、「東上震一院長を心から支えてください」と言われ、身が引き締まる思いがしました。東上院長は患者さんの小さな意見を何より大切にします。リーダーのミッション・ビジョン・バリューがこれほど明確な組織だから、職員全体が同じ方向を向き歩んでいけるのです。当院の大きな魅力はチームワークの良さにあります。一丸となって取り組む姿は、まるで〝だんじり祭〟のようです。

離島・へき地病院でのワークショップを企画

今年度から徳洲会看護部門の業務担当を担っています。看護師対策に難渋を極める離島・へき地病院でのワークショップを企画、6月に屋久島、奄美、鹿児島、沖縄離島の10病院、7月には東北5病院で開きました。

地域医療を守り成長するためには、病院間の有意義でたゆまぬ応援支援体制の構築が不可欠です。研修医のプログラムのように、看護師も4年目以上は離島・へき地を経験し、その後、組織に貢献した者が昇格するシステムがあれば、徳洲会のDNAが脈々と受け継がれていくでしょう。9月1日から7カ月間、当院の集中ケア認定看護師が名瀬徳洲会病院(鹿児島県)に応援に出ます。単に業務応援ではなく、恵まれた環境でしか経験を積んでこなかった自分自身と向き合い、さらに成長してほしいと伝えています。

ある先生から「あなたは隣の人の顔や名前を知っていますか。すぐそばの地域も知らずに〝地域医療〟ときれい事を言わないで」と質され、自分の足元の現状を知ることを教えられました。あらゆることに言えますが、一歩踏み出すには決断力を要します。さまざまな経験を積みながら、皆で頑張りましょう。

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