
直言
Chokugen

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直言 ~
三角 和雄(みすみかずお)
医療法人徳洲会 副理事長 千葉西総合病院 院長
2026年(令和8年)08月31日 月曜日 徳洲新聞 NO.1558
また暑い夏がやって来ました。私にとって忘れ難い出来事が41年前の夏に起こりました。1985年8月12日午後6時56分に何が起きたか、ご存知の方が徳洲会全職員約5万人の中で何人おられるでしょうか? 覚えている方は最低でも50歳以上、概ね60歳前後かと思います。
その日その時刻、史上最悪の飛行機墜落事故(御巣鷹山の事故)が起こったのです。東京・羽田から大阪に向かっていた日本航空123便が、群馬県山中に墜落し乗員・乗客合わせ520人が亡くなる大惨事となりました(生存者4人)。『上を向いて歩こう』で有名な歌手の坂本九さん、端正な顔立ちときれいな取り口の元大関・清國のご家族など著名人や大企業経営者が大勢亡くなりました。急降下する機内で多くの方が家族宛ての遺書を書き残しました。その一人で「ドカンと大きな音がして、白い煙が出た。……〇〇(子どもの名前)、立派になれ」と残したのが、私の幼馴染で隣家に住み、幼稚園から高校まで私より1学年上ながら、ずっと同じ学校に通ったMさんでした。
Mさんは早稲田大学に進学し、私が東京の大学に入学して右も左もわからない時、面倒を見てもらいました。事故当日、私は米国留学1年目で、お盆にシカゴから帰省しようと思い、大阪の実家に電話をした際、この事故を知りました。親しい人を急に亡くした時、打ちひしがれ、体全体から力が抜けたようになり、悲しみが大き過ぎて声どころか涙も出なくなることを知りました。私は死には2種類あると思います。一つ目は、がんの末期や老衰などで予期される死。もう一つは、あまりにも急で周囲も受け入れ難い突然の死です。今まで元気だった人が、急性心筋梗塞や脳出血などで瞬く間に命を失うのも、飛行機や自動車の事故によって急死するのも突然の死。我々医療従事者は、患者さんの生命を救うという使命とともに、予期された死であれ、突然の死であれ、死というものに向き合わねばならない宿命を背負っています。
この数年の内に両親、兄を相次いで亡くした私ですが、いずれもある程度、予想ができ、心の準備ができていた死でした。それに比べると、肉親ではないものの親しい人が急死した時の衝撃は大きく、このような突然の悲しみを患者さんのご家族に味わってほしくはないと、毎年夏に、その思いを強くしています。
では、御巣鷹山の事故はなぜ起こったのでしょう? その後、①事故機が以前、尻餅事故を起こした後の米国ボーイング社による修理が、手順を守らず不完全だったこと、②それによる隔壁の強度低下を、日航のチェック体制が甘く見抜けなかったこと、③日航という会社組織自体に問題があり、それが②につながった可能性があることが判明しました。そのあたりの経緯は、渡辺謙主演の映画『沈まぬ太陽』に詳しいですが、日航という国策企業がナショナル・フラッグと称し、親方日の丸という体制に胡座をかいて、労使闘争や権力争いに終始し、「安全」という最も大事な理念を忘れていたところに、多くの犠牲をともなう大惨事の素地があったと思います。
私は入職した28年前から徳洲会グループの大発展を見てきました。入職当時の当院はベッド数408床、1カ月の医業収入は4億円程度で現在の7分の1。「計画に対し〇千万円の未達成です」と当時の事務長が無表情なまま報告しても、誰からも「頑張ろう」という声は聞かれませんでした。当時でも大きな医療グループであり、「自分たちが頑張らなくても大丈夫」とタカをくくっていたようです。
しかし実情は正反対で、創業者の徳田虎雄理事長(当時)が、ボーナス支給のために各銀行を駆け回り借金をするくらいだったのです。また経営が上向いていた後も選挙違反事件や、コロナ禍などの出来事が続き、心休まる間がありませんでした。これらを経験した私は、徳洲会と、いったん倒産して再生した日航とを思わず重ね合わせて見てしまいますが、医療面で徳洲会が実績を上げてきたのは、どんな場面でも“生命だけは平等だ”、「救急を断らない」という理念を目指していたからだと思います。それを忘れず、日頃から経営努力をしていけば良いのです。
皆で頑張りましょう。