直言

Chokugen

野田総合病院(千葉県) 院長
廣野 喜之(ひろのよしゆき)

直言 生命 いのち だけは平等だ~

廣野 喜之(ひろのよしゆき)

野田総合病院(千葉県) 院長

2026年(令和8年)07月06日 月曜日 徳洲新聞 NO.1550

地域の方々から真に頼りにされる
「強力な診療能力を持つ病院」へ
全職員が同じ“こころざし”で一丸となり推進

当院のある野田市は千葉県の北西端に位置します。その北東を利根川、西を江戸川、南東を利根運河に囲まれ、運河を底辺、関宿城を頂点とする底辺8.5km、高さ20kmに及ぶ二等辺三角形の細長い地形をしています。この地で現在、約15万人の方々が日々の生活を営んでおられます。医療行政上、野田市は東葛北部医療圏に属します。松戸・柏・我孫子・流山・野田の5市で構成される同医療圏の人口は142万人に達し、最近では流山市を中心に人口が増加傾向にあります。しかし、実質的な中心は医療圏の南東部に位置する松戸市や柏市であり、高度医療機関もこの2市に集中しています。一刻を争う救命救急センターも、松戸市立総合医療センターと東京慈恵会医科大学附属柏病院の2施設のみという状況です。

野田市の地理的孤立が大きな問題 救急はできる限り地域内で解決へ

ここで大きな課題となるのが、野田市の地理的孤立性です。市の中心部から救命センターのある慈恵医大柏病院までは約15km、松戸市医療センターまでは約20kmあり、搬送ルート上には必ず利根運河の橋が立ちはだかります。市最北端の関宿地区からだと、搬送距離は35〜40kmに跳ね上がります。隣接する埼玉県や茨城県の救命センターを目指すにしても、江戸川や利根川の橋を渡らねばなりません。これらは朝夕を問わず慢性的な渋滞の発生地点です。一刻を争う重篤な救命救急では、この「距離」と「橋の渋滞」は患者様の生命に直結する深刻な問題です。したがって、当院を含む市内の二次救急指定病院は「地域内の救急患者様の問題は、できる限り地域内で解決する」という強い覚悟を持たねばなりません。つまり、当院が地域から真に頼りにされる「強力な診療能力を有する病院」に進化を遂げることが急務と考えます。

1970年に小張総合病院として開院した当院は、2025年2月1日より徳洲会グループのもとで野田総合病院として生まれ変わりました。この新たな幕開けとともに私は院長を拝命いたしました。私は1996年に東京医科歯科大学(現・東京科学大学)を卒業し、公立病院などを経て2012年に徳洲会へ入職しました。その後は千葉西総合病院、武蔵野徳洲会病院に勤務し、一貫して循環器内科と救命救急診療の最前線に身を置いてまいりました。

医師になる前は、大学院まで進学し理工学系の研究者の道を歩んでいました。しかし、研究を続けるうちに、「研究の先に、生身の人間の営みを感じることができない」という葛藤を覚えました。より直接的に人と関わり、誰かの役に立ちたいという強い衝動から、医師への転身を決意しました。この転換に背中を押してくれたのが、幼少期を過ごした文京区本郷の記憶です。小学校の近くにあった小石川植物園は、かつて徳川幕府の薬草園で、そこには困窮した人々を救うための小石川養生所が設置されていました。1722年、江戸市中で貧困の中、病苦にあえぐ人々を見かねた町医者・小川笙船が、八代将軍、徳川吉宗の設置した目安箱へ投書した意見書により誕生した医療施設です。

この養生所を舞台に医療の原点を描いたのが、山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』です。小学校の社会科や道徳の授業では、小川笙船の偉業に触れることも多く、同作を愛読していた私にとって、医師を志した瞬間に脳裏に浮かんだのが、この養生所でした。その後、徳洲会に入職し“生命だけは平等だ”の基本理念に触れた時、鳥肌が立つ思いがしました。それは私の医師としての原点である、誰をも分け隔てなく診る小石川養生所の精神に再び巡り会えた瞬間だったからです。

「生命の平等性」を貫き通し 何よりも「権利と尊厳」守る

現代では、医療は高度化・専門化していますが、その本質は変わりません。「生命の平等性」を貫き通し、目の前の患者様の「権利と尊厳」を何よりも大切にすることです。当院は、そのような病院でありたいと強く願っています。グループの理念である「生命を安心して預けられる病院」、「健康と生活を守る病院」、「患者さまの権利と尊厳を大切にする病院」を地域で体現し、野田市とその周辺に暮らす人々に確固たる安心をもたらすこと。全職員が同じこころざしを一角に据え、一丸となり日々の診療を進める病院でありたいと心から望んでいます。私たちは、この街の生命を守る共同体です。誇りと使命感を胸に、皆で頑張りましょう。

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