
直言
Chokugen

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直言 ~
末吉 敦(すえよしあつし)
医療法人徳洲会 専務理事 宇治徳洲会病院(京都府) 院長
2026年(令和8年)03月16日 月曜日 徳洲新聞 NO.1534
過日、私は外傷の勉強をしたいと思い、BTLS(Basic Trauma Life Support:基礎外傷救命処置、現ITLS Internat-ional Trauma Life Support)のテキストを手にしました。救急隊員向け病院前の外傷教育コースで、その時点では世界24カ国で開催されているコースでした。最初の患者さんの観察と処置の流れでは、頸椎の保護をしながら、意識、呼吸、循環、活動性外出血を15秒以内で観察し、生命の危険がある外傷がないかを2分以内で系統的に観察する手順が書かれていました。
当時、たまたまバイクの交通事故現場に遭遇し、救急隊員の活動を目の当たりにしました。頸椎保護の考えはなく、いきなり目に見える四肢の外傷にガーゼを当てる救護でした。BTLSを日本に導入すべきと強く思いました。2000年、米国フロリダ州でBTLSを受講し、その後、救急医、パラメディック(救急救命士)を当院に招聘してBTLSコースを開催しました。
これに続いて、米国人とカナダ人を延べ150人招聘し、全国でパラメディック用BTLSコースも開催しました。また、日本の救急救命士用に基礎コースをつくり、こちらも全国で開催、わずか3年間で2,500人の生徒が受講しました。
熱心な救急関係者が多く、受講者の中から多くの大学教授、救命救急センター長が生まれました。現在、全国の救急隊で使用されているバックボードも、この活動を通じて国内に導入されたのです。
それまでとは全く違う救急隊の活動は、厚生労働省にも届き、BTLSの日本への導入を検討する会議が開かれました。日本救急医学会の幹部が中心の会議でしたが、救命救急センター以外で救急医療を行っているという認識がないと強く思いました。救命救急センターを強く意識した瞬間でもありました。その後、BTLS基礎コースは同学会主催のJPTECコースとなり、救急隊の活動はBTLSの観察活動様式が全国標準となりました。
また、私は2000年に厚労省の救急従事者研修にも参加し、医系技官の講義を受けました。「今まで救命救急センターは100万人に一つの指定でしたが、今後は30万人に一つの指定を行う予定」との話を聞き、当院も救命救急センターにならなければと京都に戻り、京都府庁の担当者と面談しました。面談時間はわずか1分、「民間病院は赤字になると救急をやめるから指定をしない」と言われました。
その後、当院は救急受け入れ件数が京都府1位となり、継続しましたので、救命救急センター指定への交渉を開始、5年にわたる交渉を経て12年3月30日付で、ようやく指定をいただきました。民間病院では近畿地方で初めての指定でした。徳洲会には救命救急センターになれそうな病院が、あと6病院あり、同センターになるための交渉についてWEB勉強会を開催しました。
現在までのところ初期に指定された当院、岸和田徳洲会病院、湘南鎌倉総合病院の3病院から増えていないのは残念なことです。
かつて徳田虎雄・名誉理事長はこう言われました。「やろうと思えばできる。これを信じること。これが第一の勝負でしょうね」と。先日、東上震一理事長も初期研修医の中間研修会で、若手医師たちに、「人は皆、自分の思う通りの人間になれる」という言葉を贈りました。人生で一番大切なことは、困難に立ち向かっていく闘志です。99%不可能であっても、1%の可能性があるならば、最後まで頑張る執念が大切です。「初期研修医には無限の可能性がある」。個人として、どう生きるかを考えさせられる東上理事長の講演でした。私の座右の銘は、上杉鷹山の「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という言葉です。
当院は高度救命救急センターになるため、体制を整備して交渉し24年4月1日に指定を受けました。また当院は2年ごとに短期・中期計画を策定し、病院全体で共有しています。現在、私たちの視線はさらなる高み、ドクターヘリの基地病院指定へと向かっています。病院のリーダーとして、仲間と共に未来を描き、その理想を形にするための挑戦に終わりはありません。
皆で頑張りましょう。