直言
Chokugen
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直言 ~
新家 佳代子(しんやかよこ)
屋久島徳洲会病院(鹿児島県) 院長
2025年(令和7年)05月05日 月曜日 徳洲新聞 NO.1490
1988年に京都大学を卒業し、その年、講座になったばかりの形成外科に1期生として入局しました。早く一人前の形成外科医になりたくて、毎晩、未明までラットの両側の鼠径皮弁のfree flapをつくり、左右を入れ替えてマイクロの練習をしていたのを思い出します。学生時代から登山に魅了され、勤務前に大文字山に登るなど、どこにそのようなエネルギーがあったのか、今思えば不思議なくらいです。
学会で招聘した外国人講師の京都観光を担当したのをきっかけに、91年から臨床で3年近くオーストラリアと英国に留学しました。オーストラリアではシドニー病院のhand unitに勤務しましたが、手術の入れ替えの5~10分程度で手術記事を録音し、次の患者さんはすでに麻酔や看護師による消毒とターニケットの加圧までされた状態で、外科医は効率良く手術だけするようなシステムでした。日本では一日に2~3例しかできないようなデュプイトラン拘縮の手術を一日5件もこなすことができました。日本に帰ってからも留学先からの誘いがあり、ベトナムとバングラデシュの医療過疎地で合計8回、手術支援の活動に参加しました。設備がほとんどない所での活動に、非常にやりがいを感じ、日本にも医療過疎地があると思い至り、後に屋久島に来ることにつながったように思います。
医局人事で関連病院での勤務を続け、40歳を過ぎた頃、このまま定年まで勤務を続けるか、開業するか模索した時期があります。実臨床が大好きで、歳を取っても働きたいと思っていましたので、それができるのは離島・へき地の病院ではないかと探したところ、屋久島に徳洲会病院があるのを見つけました。
登山のなかでも、とくに沢登りに夢中になっていたこともあり、屋久島に魅力を感じました。教授に相談し、医局を離れるのではなく、関連施設ということで2004年末に来ることができました。その時は3年間頑張って、合わなければ戻ろうと思っていました。離島医療では形成外科だけをしていては足りないことがわかっていましたが、総合診療医としての山本晃司院長(現・名誉院長)と当時の研修医の優秀さに驚き、研修医が1年間で身に付けたことを私ができないわけがないと、画像読影や総合診療の知識をがむしゃらに勉強しました。総合診療と専門性向上という逆T字型の医師を目指し3年経った頃、やっていける自信が付き、神戸のマンションを売却、屋久島に自分の好みを全て詰め込んだ家を建てました。そして気が付けば19年以上経ち、院長を拝命することになりました。
院長として一番問題に思うのは、やはり人手不足です。そして、かねてから蟠りになっている女性医師の起用に思いを馳せます。当時、京大医学部の女性の割合は0.3 ~0.4%で、その数少ない同級生の女医さんに17年程前、京都の市バスの中で出会いました。「今はアルバイトの検診をしているだけ。しばらく臨床を離れると、なかなか戻るのがねぇ」と言われたのが胸の奥に突き刺さったままです。あれほど優秀で熱意をもって輝いて働いていたのに……。厚生労働省の統計では、30代では30%近くの女医さんが離職し、40代でも20%の離職があるようです。産休・育休・病児休暇の制度があっても迷惑をかけるからと休めず、厳しい環境で無理をし、結局、離職を選ばざるを得なくなるのでしょう。再就職しても専門性のない仕事に就いている方も多いようです。
毎年約9,400人の医師が生まれ、その約3割が女性の今、出産・育児で離職した後、戻ってこられない女医さんが、毎年560人ほど、専門性のない仕事に就いている人も数えれば、もっと多い数になります。長く臨床を離れれば、戻るのは、やはり怖く不安なのも理解できます。子育てが終わった40代の女医さん向けに1年程度の再研修システムを立ち上げることができれば、働きたい意欲のある方は沢山いるのではないでしょうか。40代は、まだ頑張れる、挑戦できる歳、何とかできればと思います。40代の女性医師が戻ってくれば、今まさに子育て中の方も病児休暇などが取りやすくなって、離職を防止でき、今後の人員確保にもつながるのではないでしょうか。
皆で頑張りましょう。