直言

Chokugen

阪南中央病院(大阪府) 院長
山枡 誠一(やまますせいいち)

直言 ~ 生命 いのち だけは平等だ~

山枡 誠一(やまますせいいち)

阪南中央病院(大阪府) 院長

2025年(令和7年)03月24日 月曜日 徳洲新聞 NO.1484

自院の特性を生かして日常診療を大切に
人生の始めから終末まで地域と共に歩む
あらためて高い倫理性と経営堅持の重要性痛感

1973(昭和48)年、同和対策事業特別措置法に基づき阪南中央病院が設立されました。奇しくも同時期、この地域に徳洲会創設者の徳田虎雄先生が、最初の病院である徳田病院(現・松原徳洲会病院)を開設されています。当時、この地域は大阪の大都市圏にありながら、医療機関が乏しく、貧困に苦しむ方々が多く住んでおられました。日本全体としては高度経済成長期にあり、物とお金が急速にあふれた時代でしたが、格差是正は進まず、環境破壊、公害問題が国内各所で発生していました。我が国には国民皆保険制度が施行されていましたが、その恩恵を全ての国民が平等に享受できていたかというと、決してそうではなかったようです。

経済的社会的リスクの高い方々へ 真摯に対応し社会医療法人に認定

そのような時代背景にあって、地域住民の生命、健康を守ろうと、有志が集まり、当院は生まれました。日常診療に励む一方、公害や戦争で傷ついた方々への社会医療にも活動を広げていきました。74年には広島、長崎の原爆被爆者の方々の検診を、78年には水俣病患者さんの検診を開始しました。88年にはベトナム戦争の枯葉剤被害者救援のために、現地と医療交流を行いました。そのような社会医療活動に、一定の評価をいただいた時代もありました。

日常診療で大切に取り組んだ分野としては、周産期、小児医療があります。当院周辺には経済的社会的リスクの高い方々が多く、その脆さが出産育児を直撃していたことが重点的に取り組むことになった所以です。それが、後の社会医療法人と地域周産期母子医療センターの認定につながったのです。

2007年、私は産婦人科医として当院に着任しました。当院の周産期医療は、産婦人科医としての使命感を強く引き付けるものがあり、分娩、緊急帝王切開など、日々、臨床に明け暮れました。前職が大学教員であったことから、臨床研修医の指導も引き受けることとなり、その関係で松原徳洲会病院の研修医の産婦人科研修も受け持つことになりました。

今思えば、この頃から縁が始まっていたのだと、深い感慨を覚えます。一方、医療制度改革や専門医制度の大きな変化の中で、創立からの先輩諸氏による病院運営が万策尽き、さまざまな課題が先送りされていました。17年、私が病院長を拝命いたしました。まさに「火中の栗を拾う」心境でありました。以降、電子カルテ導入、医師の獲得、医療機器の更新、老朽化した設備の修理、病棟の改装、周産期センターと行政との連携強化、新型コロナ禍への対応、終末期医療への取り組み、「医師の働き方改革」などに取り組んでまいりました。幸い、当院の使命、地域における必要性をご理解いただいた方々のご厚意が、院内外問わずつながり、何とか昨年まで歩むことができました。しかし、1病院単独での経営再生には限界があり、壁に直面していたところ、幸運にも徳洲会グループに、24年10月に参入させていただくことになりました。関係者の皆様に深く感謝申し上げます。

これまでの自院の歩みから、病院は高い倫理性をもつと同時に、経営も堅持しなければならないということを痛感しています。徳洲会グループ参入と同時に、多くのご支援・ご指導をいただき、具体的になすべきことを実感できるようになりました。経理の効率化、ベッドコントロール、組織運営、チーム医療、人材獲得と育成など、枚挙に暇がありません。一つひとつを病院の“身体”に取り込むのに、今は精いっぱいでありますが、その先に、当院の役割、機能を発展させ、地域に残すことを目指しています。

同じ地域にある松原徳洲会病院と 診療や臨床研修で連携でき心強く

同じ地域に松原病院があり、診療や臨床研修で強く連携していただけるのも心強いです。新たな体制の下、本来、当院がもっていた特性を生かすべく、周産期医療のみならず、そこからつながる小児発達相談など、地域の方々が求める医療の展開を始めています。あわせて、総合内科と整形外科を柱とした高齢者の方々を支える日常診療も強化し、人生の始めから終末まで、地域と共に歩む病院でありたいと考えています。徳洲会グループ病院の一員として、まだまだ発展途上ではありますが、今後ともご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

皆で頑張りましょう。

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