直言
Chokugen
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直言 ~
守矢 英和(もりやひでかず)
湘南厚木病院(神奈川県) 院長
2025年(令和7年)02月10日 月曜日 徳洲新聞 NO.1478
2024年12月1日付で、湘南厚木病院の院長を拝命しました。私は横浜で生まれましたが、長らく横須賀で育ち、大学は防衛医科大学校に進学しました。人と接する仕事に憧れ、当初は教師を目指しましたが、兄が気管支喘息で病弱であったことも、医師を目指したいと思った理由かもしれません。
防衛医大生として6年間、そして卒後研修医や自衛隊医官として5年間、自衛隊に所属しましたが、自衛隊での経験は人生の大きな財産となりました。大学では4人部屋の寮生活を送りました。大人になった人間同士が集団生活し、上下関係の厳しい環境で生活することは、まさに社会の縮図でした。“昭和”というコンプライアンスなどなかった時代で、先輩は無茶苦茶なことを要求する怖い存在でしたが、いざという時は背中で物を語り、手本を見せて後輩を導き、ミスをすれば尻拭いをしてくれる頼もしい兄貴でした。
太平洋戦争中、連合艦隊司令長官であった山本五十六は、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、誉めてやらねば人は動かじ」と言いましたが、そういった先輩からの骨身に染みる指導は、役職が上がり院長になった今でも、「現場で背中を見せながら」が私のモットーになっています。
徳洲会との出会いは、今は湘南鎌倉総合病院院長であり医療法人徳洲会専務理事である小林修三先生に、防衛医大の医局講師として指導してもらっていた時分、小林先生が同院に転任する話を聞いた時でした。その時は同院が徳洲会の病院であることも、徳田虎雄・名誉理事長の存在すらも知らず、ただ小林先生に指導してもらえるのであればと思い、また実家のある神奈川県に戻れることもあり、1999年9月に同院に入職しました。
以来25年間、腎臓内科医や総合内科医として働き、また時には、北は共愛会病院や庄内余目病院から、南は徳之島徳洲会病院、沖永良部徳洲会病院、鹿児島徳洲会病院に至るまで、全国20近い徳洲会病院に数日〜2週間単位で応援に行きました。離島・へき地病院への応援に尻込みする後輩医師に対し、まずは「やってみせ」の精神で、自らが先陣を切って応援に行きましたが、それぞれの病院での経験や人との出会いは、今となっては私にとって大きな財産となっています。
湘南鎌倉総合病院に在職中、私の父が精巣原発の悪性リンパ腫に罹患し、最期は同院に入院して看取ることになりました。また私の子ども3人は皆、同院で生まれました。その意味で同院は自分の勤務する病院であると同時に、私の家族がお世話になる地域の病院でもあり、以来、患者目線で同院を見るようになりました。
病院では、医師や看護師をはじめコメディカル、事務スタッフに至るまで、さまざまな職種のハーモニゼーションが必要です。しかし、ややもすると、自部署の都合や考え方を優先して部署間で衝突し、患者さんが置き去りにされているのを多く見てきました。そこに欠けているのは「自分が患者だったら、もしくはその家族だったら」という目線です。「患者さんにとって何が一番か?」を判断軸に考えたら、我々医療者の選択する道は自ずと決まってくると思います。解決は容易ではありませんが、プロはシステムを変え、やり方を考えれば、問題は必ず解決できると信じています。
湘南厚木病院が立地する厚木市は、神奈川県のほぼ中央に位置し、人口は約22万人ですが、近くには伊勢原市や愛川町、清川村もあり、この地域からの救急搬送も多いです。当院の救急搬送受け入れは年間約2,500台と、まだ少なく、地域の救急医療に十分貢献できていないのが現状です。また近くに厚木市立病院や東名厚木病院がある中で、厚木地域における当院の存在意義を明確にしていく必要があります。
幸いにも厚木市内で心臓血管外科治療ができる病院は当院しかなく、また全身のがんを調べるPET-CTを有する人間ドッグもあり、急性期医療から予防医学まで、多くの伸び代がある病院だと確信しています。
2025年9月に当院は開院20周年、厚木市も市政70周年を迎えます。今年の巳年の干支にちなみ、新たな病院に向けて脱皮し、進化してゆきたいと思います。皆で頑張りましょう。