徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

東大阪徳洲会病院 院長
NPO法人TMAT 副理事長
橋爪 慶人(はしづめけいと)

直言 生命 いのち だけは平等だ~

橋爪 慶人(はしづめけいと)

東大阪徳洲会病院 院長 NPO法人TMAT 副理事長

2025年(令和7年)01月27日 月曜日 徳洲新聞 NO.1476

全職員が自分の夢を叶えるチャンスある
他に例を見ない貴重な職場なのが徳洲会
財産となった災害医療と児童虐待への取り組み

「大丈夫か?」──。父からの心配の声でした。大学から移る先の病院が、医師会と全面戦争している医療グループの病院だったからです。悩みながらも徳洲会に入り、昨年4月に定年を迎えました。定年は制度上のことで、日々の仕事は全く変わりませんが、人生の一里塚です。35年、人生の大半を徳洲会で過ごしたからこそ、多くの経験を積め、たくさんの学びができ、本当に良い人生を送らせてもらえました。今回の直言では、私の人生を豊かにしてくれた2つの話をします。

幸せだけでは幸せになれず 不幸の中に幸せの種がある

1つ目は災害医療です。阪神・淡路大震災から30年、その間、台湾921地震、スマトラ島沖地震、パキスタン地震、東日本大震災などTMAT(徳洲会医療救援隊)として多くの被災地に行きました。ハイチ大地震の時などは、JICA(国際協力機構)を含めた日本の医療チームの中で、一番早く、被害の大きい被災地の中心で活動を開始しました。これだけ多くの経験ができたのも、徳洲会のチームだからこそです。リスクマネジメントの考え方、ニュースや情報の読み方、バックアップの重要性など多くのことを学びました。今日までの日々は、明日約束されているわけではないことも、単に言葉として知っているだけではなく、自らの経験によって実感しています。まさに、生き方が変わる経験を数多くしてきたのです。何より私の財産となったのは、幸せだけでは幸せにはなれない、不幸の中に幸せの種があるということです。

事実は一つしかないが 真実は人の数だけある

2つ目は児童虐待です。児童虐待に関わることになったのも徳洲会だからです。2004年、刑事事件となる虐待事案を3件立て続けに経験しました。虐待に対する知識の無さ、対応の未熟さ、助けることができなかった忸怩たる思い、それらが私を児童虐待問題にのめり込ませ、今も大阪府の児童虐待危機介入チームのメンバーとして続いています。親御さんに「叩くことはいけない」と言っても、「じゃあ叩かずに、どう躾ければいいのか」と問われることがあります。その答えは教育論に多くのヒントが隠されており、そこから当院のより良き教育環境への取り組みにつながっています。ここでの私の財産は、事実は一つだけど、真実は人の数だけあることを自分の生きる道標にできたことです。自信過剰で、傲慢、自分勝手だった自分の過去を見詰め直すことができました。2つの私の財産については、紙幅の関係もあり、さわりに触れただけなので、どのような意味かは想像してみてください。

院長という職責を担わせていただき15年、その間にメスを置き、専門医も返上、すでに形成外科医ではありませんが、今でも災害医療と児童虐待では、グループ内で私を知っていただいております。これも財産と言えるでしょう。今の徳洲会は、私が入った頃とは大きく異なります。ただ単に規模が大きくなっただけでなく、その活動の場も世界に広がり、財政基盤も当時とは比べるまでもありません。さらに東上震一理事長の下、さらなる飛躍に向け尽力しています。そのような徳洲会グループは、全ての職員にとって自分の夢を叶えるチャンスがある、とても貴重な職場だと思います。

TMATの副理事長という立場から一例を挙げれば、海外での災害医療を経験することでも、JICAや日赤、その他のどのチームよりも、被災地に一番近い職場だと言えます。熱い思いさえ持っていれば、世界に飛び出すチャンスがすぐ目の前にあるのです。徳洲会の皆さんは、医療の道に入った頃に持っていた夢があるはずです。その夢を叶える場として、徳洲会をどう使えば自分の夢が叶う近道になるか、ぜひ、そういう視点を持ってください。

私は徳洲会で医師としての人生を歩めて、本当に良かったと感謝しています。徳洲会だからこそ、いろいろな経験ができました。患者さんのために尽くすという、医療者の思いを叶えるといった視点だけで自らの職場を見るのではなく、自分の夢を叶えるチャンスが転がっている職場だという目で見てみてください。職場がこれまでと変わって見えるはずです。私は徳洲会への感謝を込め、これからも一院長として、預かっている病院の経営に努め、微力ながらグループのさらなる発展に尽くしたいと思います。

皆で頑張りましょう。

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