直言
Chokugen
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直言 ~
福田 貢 (ふくだこう)
医療法人徳洲会 副理事長 八尾徳洲会総合病院(大阪府) 総長
2024年(令和6年)12月23日 月曜日 徳洲新聞 NO.1472
介護保険を受けて運営される介護施設における身体抑制は、1999年に厚生労働省が出した省令によって禁止されましたが、医療施設は、その適用から逃れてきました。ベッドを離れるとブザーが鳴るマットを敷くことなどにより、抑制を減らすべく対策が進められてはいたものの、医師の指示と、ご家族による同意書への署名があれば、病院での身体抑制は可能とされてきました。しかし令和6年度診療報酬改定では<医療機関における身体的拘束を最小化する取り組みを強化するため、入院料の施設基準に、患者または他の患者等の生命または身体を保護するため緊急やむを得ない場合を除き、身体的拘束を行ってはならないことを規定するとともに、医療機関において組織的に身体的拘束を最小化する体制を整備することを規定する>とされました。
過去における身体抑制の広がりは、医療制度の変化と深く関連した出来事であったようです。73年、田中角栄首相により70歳以上の高齢者の医療費が無償化されました。これを契機に、70年代後半から80年代前半にかけて高齢者の身体抑制が増加したようです。厚労省の統計によれば、75歳以上の人口10万人当たりの受療率は、70年から5年の間に1.8倍に上昇し、さらに4,289億円であった制度施行初年度の高齢者医療費は、以後の10年で2兆7,487億円へと6.5倍に達しました。臨床の現場では中心静脈栄養、経管栄養などの医療処置が、そのまま高齢者にも適用され、積極的な加療対象に組み込まれていきました。
一方で“高齢者は病院にいれば安全”という時代の空気感に押されたのか、医療者は安全対策として経鼻胃管、中心静脈カテーテルなどの抜去防止、転落防止の対策を拡充しました。経過中、さまざまな批判を受けた高齢者医療費の無償制度は、83年には廃止されましたが、この時期には、病院死が在宅死を上回るという新しい変化が観られます。身体抑制の増加の背景には、高齢者医療費の無償化、これにともなう高齢者受療率の増加、病院死の増加に象徴される医療需要の変化、医療費の増加とその削減圧力、医療者側が考える医療安全の効率化などの諸要因が観えます。これらを背景に“高齢者を低コストで受ける”というビジネスモデルを支える手段の一つとして、身体抑制は、当事者の意思不在のままに医療行為として急速に拡散し、命の行く末がアウトソーシングされる時代に入ったようです。
徳田虎雄・名誉理事長は、著書『生命だけは平等だ』の中で、<昭和30年代は、まだ救急病院が花盛りだったが、老人医療費が無料化になってからは、入院させる必要のない老人まで入院させ、多くの病院が救急指定を返上して老人の下宿屋に早変わりしてしまった。さらに無料化が医師や病院を当たり前の医療から遠ざけてしまい、医療の原点を放棄させた>と、当時の“医療の歪み”について記されています。
身体抑制開始から半世紀弱が経ち、拘束の光景に、さほどの違和感をもつこともなく、そして、さしたる逡巡もなく、医師が抑制承諾書に署名を行うことが日常になった現場があります。①高齢者の転倒による外傷防止には抑制が有用である、②障害から患者を守るのは医療者の道徳的義務である、③入院中の患者の転倒に因る外傷発生時は、医療者の法的責任が問われる、④スタッフの人手不足の時は、抑制することが患者安全につながる。従来から抑制を是認してきた現場の倫理観、価値観や姿勢は上記のようなものと思われますが、医療安全に関する抑制の優越性を支持する文献的な根拠を見つけることは困難です。医療の究極的な目標は、疾病による苦しみからの人間の解放であり、その尊厳を守ることです。
一方で高齢者医療の現場では、物的にも精神的にも貧しい療養環境が未だに存在し、時に医療行為が、人間としての尊厳を剝奪するかのような情景を垣間見る時があります。加齢がもたらす生物学的変化、機能低下や衰弱は、生物としての宿命であり、これを修飾することは困難です。しかし、高齢者が医療の現場で四肢を縛られる姿は、彼らの宿命でも運命でもないはずです。院長、看護部長による強固な意思統一の下、身体抑制の完全放棄に向け、皆で頑張りましょう。