直言
Chokugen
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直言 ~
東上 震一(ひがしうえしんいち)
医療法人徳洲会 理事長 一般社団法人徳洲会 理事長
2024年(令和6年)12月02日 月曜日 徳洲新聞 NO.1469
“東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたわむる”
明治後期の短い期間を駆け抜けた石川啄木(1886-1912年)の最初の歌集『一握の砂』の冒頭に収められた短歌です。26歳で夭折した啄木の歌は、あまりに有名で、哀切に満ち胸を打ちます。握りしめても形を成さない砂の塊、指間からこぼれ落ち、なくなってしまうものを漠然とイメージし、『一握の砂』というタイトルを理解していたのですが、18世紀のイギリスロマン主義の先駆をなす重要な芸術家、ウイリアム・ブレイク(詩人、画家、銅版画職人)の詩『無垢の予兆』を知った時、この理解が少し変わりました。“一粒の砂に世界を見、一輪の野の花に天を知る、 掌(手のひら)に無限を握り、一瞬のうちに永遠を捉える”。常人の理解を遥かに超える特異な思考様式を感じます。事実、彼は生涯、その才能を認められることなく、極貧のうちに人生を終えました。
『無垢の予兆』が初めて日本に紹介されたのは1894(明治27)年で、誇り高く優秀であったが故に、不満足な実生活とのギャップに苦しんだ啄木なら、この詩を読んでいたように思えてなりません。握りしめた小さな一粒の砂に全世界を見る、極めて小さい世界から無限を感得し永遠を手に入れる──。これは芸術的な世界観にとどまらず人間の本質、物事の本質といったものは、常に目に見える細々とした些末とも言える現実の中に存在するということを示しているのかもしれません。そして、その実感を私たちは生きる力に変え、人生を前向きに生きなければならないと、ブレイクは詠っているように感じられます。
離島・へき地医療に厳然と存在する医療格差や、救急医療でのたらい回し、等しく尊重されるべき生命が現実社会では、そうではないことに対する激しい怒りが、徳洲会という社会運動の原点でした。徳田虎雄・名誉理事長が、たった一人で始めたわずか60床の徳田病院(現・松原徳洲会病院、249床)での闘いは、創業から半世紀が過ぎ、民間最大の医療組織、徳洲会グループとして形を変えながらも続いていると言えます。医療のさまざまな現実を見た時、生命だけは平等ではないのかと怒り、叫び、平等であってほしいと願い、そして、それらの想いが“生命だけは平等だ”の徳洲会哲学に収斂したのだと考えます。患者さんの身も心も救う医療・介護施設、徳洲会が名実ともにそうなるよう全職員が力を合わせ、この夢を実現していきたいと思います。
徳洲会の夢の実現のため、私たちは何をすべきか。医療組織は医師や看護師、薬剤師など各種コメディカル、事務など多様な専門職の集合体です。それぞれの専門スタッフが原点に立ち返り、患者さんのために精一杯の努力ができているのかと自らに問い直すことから始まると考えます。医療に携わる者として、その生涯の時間を人のため、患者さんのために投げ出す覚悟、大袈裟に言えば白衣を着る覚悟を問いたいと思います。そして次に、日々の業務にいかに誠実に取り組めているか、個々人として、グループとして、ぜひ検証してほしいと思います。「誠実さを検証する? 真面目さを測定できるのですか?」と、皆さんの声が聞こえてきそうですが、誠実であること、真面目であることの測定は可能なのです。たとえば一日に数人の患者さんしか診ないドクターと、100人を診察するドクター、どちらも真面目な医師です。数人の検査で十分とする技師と、無理をしてでも数十人を検査する技師、どちらも優秀なテクニシャンです。誤解を恐れずに言えば、その人、その集団の業務量が、誠実であること、真面目であることを反映する重要なバロメーターであると、指摘したいと思います。
私たちは医療に携わる専門家集団です。それならば時間を濃密に使う、仕事の要領を整理し、無駄を省き業務量を上げていくのが、プロフェッショナルとしての仕事の誇りであると考えます。徳洲会という組織は、医療を求める患者さんの望みに応じ成長し、その結果として、個々のスタッフがもつ生身の人間としての限界を超え得る集団になると考えています。一人では無理でも、多くの仲間となら、力を合わせ実現できるのが徳洲会の夢です。道程は長いですが、皆で頑張りましょう。