直言
Chokugen
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直言 ~
齋藤 滋(さいとうしげる)
湘南鎌倉総合病院(神奈川県) 心臓センター長
2024年(令和6年)11月18日 月曜日 徳洲新聞 NO.1467
1958年、米国のソーンズ博士により、世界最初の選択的冠動脈造影が行われ、全世界に徐々に普及していきました。この結果、冠動脈の解剖や、狭心症・心筋梗塞の機序が明らかになっていきました。その成果を踏まえ、67年にブラジルのファバロロ博士は、世界初の冠動脈バイパス手術(CABG)を行いました。これが、冠動脈狭窄や閉塞に対する最初の外科的・侵襲的治療法の始まりでした。77年には、患者さんへの負担が少ない冠動脈インターベンション(PCI)が、グルンツィッヒ博士により開発されましたが、この当時はステントを用いず、風船による拡張のみでした。
88年秋、徳田虎雄・徳洲会理事長(当時)のバイタリティと「日本の医療を一緒に変えていこう!」という強い信念に引っ張られるように、私は湘南鎌倉総合病院に入職し、心臓病のカテーテル治療に邁進しました。やがて、92年に冠動脈ステントであるパルマッツ─シャッツ・ステントが世に出ました。さらに、カテーテルを挿入する動脈からの出血性合併症を低減するために、経橈骨動脈的インターベンション(TRI:手首の動脈からのカテーテル挿入)が日本で最初に導入されたのは、95年のことでした。このように急速にカテーテル治療は進歩していきました。私は、この優れた手技を世界中に広めていくために、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカなどの数多くの国々を訪問し、実際に患者さんを治療しました。これは、徳洲会の理念である“生命だけは平等だ”の実践です。
インドネシア共和国には、2000年に初めて訪問し、それ以降、16回以上訪れました。これにより世界第4位の人口を有しているインドネシアとの心臓病治療の面での交流が徐々に進んでいきました。首都ジャカルタには、もともとインドネシア国立の心臓専門の大病院があり、その名はインドネシア共和国国立ハラパンキタ循環器病センターと言います。ハラパンキタというのはインドネシア語で「我が希望」という意味です。かつて、心臓病に悩むインドネシアの人々は、自国内で治療できる病院が限られていたため、なかなかインドネシアで治療を受けることができず、もし裕福であれば、隣国のシンガポールに飛行機で飛んで行き、治療を受けていました。
この現状を当時の大統領が憂い、ジャカルタに建設された国立心臓病センターがハラパンキタ循環器病センターでした。ハラパンキタ循環器病センターは大きな病院ではありますが、心臓病治療の需要に比して規模が足りないため、新たな病棟の建設が待たれていました。湘南鎌倉病院にもハラパンキタ循環器病センターより、数回にわたり病院管理者が、そして医師、看護師などの方々が研修目的で来院されましたが、それでは不十分でした。
このような現状を鑑みて、徳洲会は東上震一理事長の下、インドネシアに“生命だけは平等だ”の理念を広げていくことになりました。
23年12月11日と24年6月24日に医療法人徳洲会、インドネシア共和国、そしてハラパンキタ循環器病センターとの間で、「ハラパンキタ・徳洲会循環器病センター」建設等に関し、覚書(MOU)が締結されました。この国際的な共同プロジェクトにより、ハラパンキタ・徳洲会循環器病センターは、徳洲会およびインドネシアの医師ら医療従事者が、臨床・研究・教育の場として共同で活用できるようになります。
私は、これまでハラパンキタ循環器病センターでは、主としてTRIによる治療法の普及と、分岐部病変、石灰化病変、CTO(慢性完全閉塞)病変などに対する技術的に高度なPCIを中心として、指導を行ってきました。今後は、対象となる疾患を冠動脈疾患のみならず、重症大動脈弁狭窄症に対するTAVI(経カテーテル大動脈弁植え込み術)や、重症僧帽弁閉鎖不全に対する経皮的僧帽弁接合不全修復システム(Mitra Clip)に対しても拡大していきます。
このような相互協力発展の道筋のなかで、徳洲会とハラパンキタ循環器病センター、そしてインドネシア保健省を巻き込んで、ジャカルタを中心として相互交流を促進し、多くの患者さんに優れた医療を届けられるようになれば、嬉しく思います。
皆で頑張りましょう。