直言
Chokugen
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直言 ~
堂前 洋(どうまえひろし)
東京西徳洲会病院 院長
2024年(令和6年)11月11日 月曜日 徳洲新聞 NO.1466
私は山口県で育ち、1999年に山口大学医学部を卒業、県内で循環器内科医として医師生活をスタートしました。卒後3年を過ぎた頃、もっと冠動脈カテーテル治療をうまくなりたいと思うようになりました。頭に浮かんだのは、鎌倉ライブデモンストレーション・コースでの齋藤滋先生(湘南鎌倉総合病院心臓センター長)の勇姿。齋藤先生の門下に入りたい、どうしたら先生に会ってもらえるのか、教授や病院長からの推薦状・依頼状が必要なのかなどと考えあぐねているうちに、ふっと、「あ、そうだ。齋藤先生に直接電話し、お願いしてみよう」と思い立ちました。
そして、2003年10月、湘南鎌倉病院に足を踏み入れました。私の徳洲会でのキャリアのスタートです。おおらかな齋藤先生の下、懐の深い諸先輩方とともに、古き良き時代の経験・技術から最先端医療まで全てを身に付けることができました。その後、徳田虎雄理事長(当時)より、循環器科の立て直しという特命を受け、09年4月、単身単独で東京西徳洲会病院に着任しました。35歳の時です。
当院は東京都第1号の徳洲会病院として、華々しく開院しました。しかし、当時の医局は、徳洲会魂が入魂されている医師は、ごくわずかで、『断らない医療』、『24時間365日、何でも受け入れる』という体制ではなく、私にとっては完全にアウェイの戦場でした。
数時間しか眠れない日々が続きました。外来前日は予習のため深夜から明け方まで、紙カルテやカテ動画を全て見直し午前の外来業務に臨みました。午後はカテ検査・治療を行い、それが終われば夕方は開業医さんへの挨拶回りです。夜は病棟業務、退院手続き業務などの後、また深夜から翌日の外来業務の予習です。もちろん、意地でもCCU(循環器集中治療室)救急は365日、開けっ放しです。「これが徳洲会だ!」という姿を院内外に示すことも私の使命でした。『断らない医療』を、我が身をもって徹底的に実践していく。まだまだ満足していませんが、この15年間で心臓血管外科医4人、循環器内科医5人の地域に密着した心臓血管チームをつくることができました。
24年9月1日、院長を拝命しました。当院は道半ばにあります。許可病床568床全て稼働させることが求められます。許可病床数は「その地域で我々が求められている使命の大きさや、求められている医業のボリュームを表す明確な数値目標である」と認識します。今はまだ遠く及びませんが、着実に前に進んでいます。新たに脳外科チーム、婦人科チームが加わりました。来年度には整形外科の体制が整います。心臓血管センターはTAVI(経カテーテル的大動脈弁植え込み術)実施施設認定を申請中です。前進しています。
『良い病院』を目指します。病院機能評価の認定やJCI認証の取得・更新はもちろん大事なことです。しかし、本当のところ、何をもって『良い病院』と言えるのか。
「自分の両親を、妻を、夫を、子どもを、親族を、友人を通わせたい病院なのかどうか」と自問自答します。「あなたが働く病院は家族を通わせたい病院ですか」との問いに対し、迷わず「はい」と答えるのは難しく、そのハードルは高いです。
なぜでしょう。それは自分が働いている病院の良いところも悪いところも皆、知っているからではないでしょうか。患者さんにとって『良い病院』、そして職員が気持ち良く働いて幸せな場所であるためにはどうするのか。まずは働いている病院が『家族を通わせたい病院』なのかを常に意識し、この高いハードルを乗り越えることを目指し、極めていきます。
地域の皆さんにも「家族を通わせたい病院だ」と言ってもらえる病院でありたい。そのためには「この地域が求めている医業の提供」、「許可病床数を最大限使い切る」、「24時間365日フル稼働」、「断らない医療を実践する」は必須条件と考えます。加えて、常に最先端の医療を極めていく、求められる専門科をそろえる、患者さん一人ひとりに寄り添った温かい医療・看護を提供する、患者さんに心のこもった対応をする、全職員が働きやすい環境にする……。課題は多いですが、それに立ち向かっていきます。
皆で頑張りましょう。