直言
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直言 ~
藤崎 秀明(ふじさきひであき)
沖永良部徳洲会病院(鹿児島県) 院長
2024年(令和6年)09月16日 月曜日 徳洲新聞 NO.1458
ウガミヤーブラー(沖永良部島の方言で、こんにちは)。
7月1日より沖永良部徳洲会病院の院長職を拝命しました。沖永良部生まれ、沖永良部育ちの藤崎秀明と申します。祖父、父が徳田虎雄・名誉理事長の熱狂的な支持者(ファン)で、記憶にも残っていないほど幼い頃、祖父の隣にいらっしゃる徳田・名誉理事長に、私が抱っこされている写真が今も実家に残されています。私が当院の院長職に就いてからしばらくして、徳田・名誉理事長が逝去されました。日本全体の医療もそうですが、とくに私たちの地元である奄美群島の医療が、より充実し発展してきたのは、徳田・名誉理事長がご尽力されたからだと思っています。
心から感謝申し上げます。
さて、沖永良部島は鹿児島本土から約550㎞、沖縄本島から北へ約60㎞に位置する人口約1万2,000人弱の太平洋に浮かぶ島です。当院は1990年に島内唯一の病院として開院し、2017年に現在の場所に新築移転しました。開院当時、病院内覧会があったと記憶しています。沖永良部島では最大級の建築物で、小学生の私は、島に大きく立派な施設ができたことに感銘を受けたことを覚えています。
私が医師を目指したきっかけは中学生の頃、学年主任から離島・へき地医療を担うための大学があり、そこは学費がかからないと聞いたことでした。今考えると、恐らく自治医科大学のことを話していたのだと思いますが、その恩師からは郷土愛の教育を受けていたこともあり、ぼんやりとですが、私も将来、沖永良部で医師として働きたいと考えるようになりました。思えば呼吸器内科医を選んだのも、島に戻った時に役に立つのではないかと考えてのことです。実際には、どんな診療科であれ離島医療の力になれます。16年から非常勤ではありますが、呼吸器内科医として毎月、定期的に診療応援をすることとなり、19年に内科常勤医として勤務することになりました。これにより、ようやく地元への恩返しが果たせることになりました。
沖永良部島には当院以外に5つの診療所があります。いずれも当院が開設される前から島の医療を支えてこられた医療機関であり、現在はこれらの診療所とも密に連携し、島の医療体制の強化に努めています。とくにコロナ禍では知名町、和泊町の両自治体とも協力しながら、パンデミック(大流行)を乗り越えることができました。
当院も徳洲会グループ内外の病院から数多くの先生方、医療スタッフの方々に応援に来ていただいております。私が入職した5年前と比較しても、島の皆さんに提供できる医療の幅は確実に広がっています。しかし、実際には、島内だけで完結できない症例が多く、虚血性心疾患や脳卒中など、島外搬送が必要な状況は、以前と変わりはありません。そして搬送に関するもうひとつの課題は、緊急疾患ではない場合の搬送手段です。たとえば大腿骨頸部骨折などがそれです。当院で手術ができない場合、主に沖縄県内の医療施設へ転院して治療を受けるのですが、もちろん陸続きではないため救急車では行けません。民間航空機や民間船舶での移動となってしまうのです。これは患者さんの身体的負担だけでなく、ご家族にとっても移動に関わる費用や、搬送先での長期滞在といった経済的負担が重くのしかかってきます。同じ税金を払っているのに、受けられる医療には本土との格差があります。
前院長である玉榮剛先生の意思を継ぎ、地域の医療機関や自治体と連携し、医療格差の是正に全力で取り組んでいます。地域医療は、大都市での医療とは異なる魅力があります。離島医療では、患者さんとの距離が近く、コミュニティ全体が支え合うことが不可欠です。医師や看護師だけでなく、患者さんのご家族や地域の皆さんとも深くつながりながら、チームとして力を合わせて臨んでいます。この島に住む方々にとって、私たちが行っている医療は単なる治療にとどまらず、日々の生活や未来の安心を支える大切な存在です。
当院も医療従事者の不足に、とても頭を悩ませています。「離島医療に貢献したい。離島医療に興味がある」という方がおられましたら、ぜひ当院へお越しください。皆で頑張りましょう。