直言
Chokugen
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直言 ~
倉掛 真理子(くらかけまりこ)
一般社団法人徳洲会 看護部門 業務部 部長
2024年(令和6年)09月09日 月曜日 徳洲新聞 NO.1457
私は1995年に福岡徳洲会病院に入職、看護部長を経て鹿児島徳洲会病院に異動し、副院長兼看護部長を拝命しました。両院では新築移転に関わり大きな経験を積ませていただきました。2022年8月に本部看護部門の業務部長を拝命し、現在に至ります。業務部では看護の質向上や業務効率化を目的に活動し、医療安全管理部会と協働で、グループの『人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン』の作成などを行っています。24年度診療報酬改定では入院料通則で、人生の最終段階での意思決定支援が要件化されました。医療職として、人生の最終段階にある患者さんに、どのような医療・ケアを選んでいくのか、一緒に考え寄り添うことが求められます。患者さんの決定を実現できるように、医療・ケア環境を整えていくことは私たちの重要な役目です。
父の死を経験し、人生の最終段階での医療・ケアについて、考えさせられたことがあります。父は定年を迎えた60代の頃に手紙をくれました。“私は、これまでの人生を私なりに一生懸命生きてきました。人生が終わるとしても決して悔いはありません。終末期となり、意識を失うような状態に陥ったり、たとえ呼びかけには応じても意識が朦朧となったりした時に、人工呼吸器を付けないでください。点滴も栄養補給もやめてください”と書いてありました。テレビでリビング・ウィル(生前の意思表明)のドキュメンタリーを見て書かれたものでした。
13年、父に大腸がんが発見され、すでに肝臓に転移、ステージ4でした。当時、私が勤務していた福岡病院で最期まで食事ができるようにと、大腸切除の手術と、がん化学療法をしていただきました。14年には治療の効果があまりないと、主治医から説明を受けました。娘が医療者であるにもかかわらず、早くにがんを発見できなかった後ろめたさで、何か他にも治療があるのではと思わずにいられませんでした。その時、父の手紙を思い出し、父にどうしたいか聞きました。「お父さん、化学療法がもうあまり効いていないって。最期の時をどこで過ごしたい?」と言うと、「家で過ごしたい」とポツリと答えました。
それから主治医、病棟看護師、福岡病院併設の居宅介護支援事業所のケアマネジャー、訪問看護ステーション看護師がスピーディに動いてくれ、あっという間に介護申請、介護保険での褥瘡マットレスの貸し出し、訪問診療、訪問薬剤師、訪問看護など、自宅で看取る体制ができたのです。
自宅で眠るように亡くなった父の最後の手紙は、枕の下にありました。“いつも、お父さんに天使のような優しい心遣いで接してくれて、本当にありがとう。お父さんは心から感謝しています。西方浄土からのお迎えもそう遠くないと思いますが、お父さんは、あなたたちに見送られ、安心して三途の川を渡ることができます。真理子はお父さんには過ぎた娘です。真理子のような娘を持てたことを神様に感謝しています。真理子の広い見識と、やさしい心遣いは、あなたの宝です。この宝をいつまでも持ち続けてください。この宝を持ち続ければ、末代まで名の残る名看護部長になると思います”。お彼岸を前に手紙を読み返すと、ちょっと“親ばか”な父の愛情を感じ、胸が熱くなりました。
キューブラー=ロスは「死の受容のプロセス」として、否認→怒り→取引→抑うつ→受容があると言っています。父も闘病中、この5つの状態を行ったり来たりしていましたが、家族への感謝の気持ちを手紙に託した心境は、受容の域に達していたのではないかと思います。父の「ありがとう」の言葉に家族も救われる思いがしました。
来月12日から札幌コンベンションセンターで第47回日本死の臨床研究会年次大会が開催されます。大会長のひとりは札幌南徳洲会病院看護部の梶原陽子・教育師長です。臨床には生とともに死があります。大会に参加し医療者として、人生の最終段階を支えられるように、見識を深めたいと思います。患者さんが希望される医療・ケアの環境をつくり出そうとする徳洲会職員であることを誇りに感じ、「徳洲会っていいね」と、しみじみ思います。
皆で頑張りましょう。