直言
Chokugen
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直言 ~
井上 和人(いのうえかずと)
大和徳洲会病院(神奈川県) 院長
2024年(令和6年)02月05日 月曜日 徳洲新聞 NO.1426
私の兄は、3歳の時に川に転落して亡くなりました。母が家事の合間に少し目を離した隙にいなくなり、近所の川の水面に浮かんでいたそうです。好奇心旺盛な兄は、橋の欄干の隙間から転落したのではないかということでした。すぐに母が川に飛び込んで、助け上げた時は、まだ身体が温かかったそうです。
転落した場所のすぐ近くには、大きな県立病院(現在は多数の救急応召で全国的に有名)がありましたが、受け入れられませんでした。救急車が来るのが遅れたのか、母は、パトカーに乗せていただいて市内各地を回ったそうですが、ようやく受け入れられた小さな民間病院では、蘇生が間に合いませんでした。
その日は、4月29日で祝日でした。休日の救急が受け入れられず、たらい回しになったことは、当日の毎日新聞の夕刊(昭和35年、社会面)に、“命とり「本日休診」”という見出しで、記事が掲載されました。両親の落ち込みは相当なもので、8カ月後に生まれた私に、その後、両親はこの話をなんども聞かせました。
当院は「断らない医療」を、私が着任後、それまで以上に徹底して推進していただいております。医療には責任とリスクがあり、すべての病態の救急患者さんを受け入れるには、膨大な設備や瞬時に多数のスタッフを集められる体制が必要で、単独の病院では、徳洲会でも限られた病院でしか対応できません。
しかし、近隣に大学病院があり、また今や救急隊も如何に適切な搬送を迅速に行うか、トリアージ(緊急度・重症度選別)の取り組みを日々向上させています。このトリアージを通過して要請のあった患者さんは、たとえ満床であっても断らず、受け入れる方法を皆で考えています。受け入れるからには、隠れた病気を見逃さない体制も常に行っています。毎朝8時会で報告される救急患者さんは、帰宅されていても検査や処置が足りないと思われた場合は、担当者から電話をかけて安否確認をして再診をお願いしたり、病院スタッフに自宅へ見に行ってもらったりしています。
徐々に救急応召は増加しており、急性期病床は207床と少なめですが、救急車は1カ月平均500台、プラス150人の夜間ウォークインに対応しています。
“生命だけは平等だ”は離島やへき地、そして全世界の医療に取り組む徳洲会の基本理念です。私の姉は小さい時、上気道の症状が続き、感染症で毎日注射に通うことが必要と診断されました。しかし、その注射を行っている医院にかかるには、町の有力者に挨拶に行って、受診の紹介状を書いてもらう必要があり、母は私たちを連れて、有力者と医師にお土産(お礼)を持って挨拶に行きました。姉は無事注射を受けることになりましたが、母は何も言わず、私は窮屈さを感じました。
当院は紹介状のない患者さんも同じように拝見し、どうしても情報が必要な場合は、当院の医療連携室が情報を集めます。地域でもっとも開放的で親切な病院を目指しています。病院にご連絡いただいた後、帰られるまで、目の前の患者さんが、とりあえずいなくなるまでではなく、得心して帰られるまで目を離さないようにしています。
今年1月1日に救急から入院した患者さんに「ここに、こんな立派な病院があったんですね。長く住んでいたけど、駅に行く時も素通りしていました。お正月も、てきぱきと人が動いていて、すごいですね」と言われました。当院は開院して40年以上経ちます。駅前のずっと同じ場所にあるのですが、病院の認知度は、救急だけでは向上していかないと実感しました。
地域で必要とされる活動を探し、実践していくことを模索しておりました矢先、『徳洲新聞』(2024年1月22日発行号)に掲載された武蔵野徳洲会病院(東京都)の「こども食堂」スタートという記事には、大いに刺激をいただきました。私たちも何ができるか話し合い、速やかに実行していきたいと思います。
医療制度や働く環境は変わっても、流されずに信念をもって働くことが大切だと思います。「救急を断らない」、“生命だけは平等だ”。
皆で頑張りましょう。