直言
Chokugen
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直言 ~
井上 尚美(いのうえひさよし)
仙台徳洲会病院 院長
2023年(令和5年)07月24日 月曜日 徳洲新聞 NO.1399
私は仙台徳洲会病院に2019年4月1日に入職し、23年4月1日に院長に就任しました。私は福岡県にある産業医科大学を1986年に卒業し、同大学の整形外科学教室に入局しました。奇しくも当院が徳洲会グループの13番目の病院として、仙台の地に開院した年でした。
当時、同大学整形外科では、全国にあるいくつかの労災病院に医師を派遣していました。卒後3年間、大学近郊の病院で研修を行い、89年7月1日に名古屋にある中部労災病院に赴任しました。そこで2年間過ごし、大学に戻る予定でしたが、91年に東北労災病院(現・東北ろうさい病院)に正規職員枠が新たにできたので、先陣として赴任するよう恩師である鈴木勝己・名誉教授に言われ、91年7月1日に仙台の地に参りました。こちらも2年の予定でしたが、東北大学で学位の取得を目指し、取得した頃には仙台に来て5年が経過していました。学位取得と鈴木先生の退官が重なり、産業医科大学に戻ってくるように言われましたが、仙台での生活が長く、このまま東北大学整形外科医局にお世話になれるよう、鈴木先生に取り計らっていただきました。
その後、2000年4月より石巻赤十字病院(部長、9年)、東北労災病院(人工関節センター長、10年)を経て、徳洲会に入職しました。整形外科で私が専門にしている対象患者さんは、人工関節を主とした関節外科治療と四肢骨折治療です。短期間で結果がわかることはなく、長期のお付き合いが必要となります。一つの病院で長期間勤務できたこと、加えて初期研修時代より、多くの手術を執刀させていただけたことは、私が整形外科医として経験を積むための大きな財産となりました。
私の座右の銘は「自己研鑽」です。私は整形外科医師の道を選んだ時から、大学病院などのスタッフではなく、現場での勤務を希望していました。しかし、臨床だけでは駄目だと思い、医師になってから、年1回以上の学会発表、年1編以上の論文執筆を自分に課しました。その結果、整形外科医師になって37年間で、依頼原稿も含めて70編以上の論文を書きました。
大学病院での専門性が高い治療と異なり、私たちのように“前線”で外来を行っている医師は、整形外科の幅広い知識が必要です。外来で診断し、自分の専門外であれば、その専門の信頼できる先生に紹介することが、患者さんにとって重要と考えています。加えて、私の専門である関節外科(肩・肘・股・膝の人工関節置換術および再置換術)、股関節骨切り術、四肢骨折治療(とくに髄内釘骨接合術)に対しては、知識・技術をつねにアップデートできるよう努力しています。とくに髄内釘骨接合術では、全国の仲間5人で14年に「AIM 14(髄内釘研究会)」を立ち上げ、若い先生方に髄内釘骨接合術の技術を伝えてきました。
私は日本骨折治療学会に入会し、30年間、学会員として学会発表、評議員、委員会活動、理事を務めてきました。その結果、24年に仙台市で、学会長として第50回日本骨折治療学会を開催することとなりました。この歴史ある学会を開催させていただくことは、私にとって、このうえない栄誉であると同時に、重責と使命を深く感じております。これから1年間、忙しくなりますが、徳洲会グループのお力添えを得て、実りある学会となるよう取り組んでいく所存です。
私は徳洲会の理念の下、「信頼」を大事にしたいと思っています。患者さんからの信頼、当院で勤務しているスタッフ間の信頼、そして地域の病院、診療所からの信頼です。以前より当院は、一般診療に加えて救急医療にも積極的に取り組んでいますが、今後は、これに加えて専門医療、予防医療にも活発に取り組んでいくつもりです。専門医療では、私の整形外科以外にも6月より肝臓内科(新設)医師、7月より心臓血管外科医師(増員)が入職しました。また、ダヴィンチを用いたロボット手術も始まり、専門性が高い医療への取り組みも開始しています。
当院は地域医療機関との「信頼と連携」を築き、患者さんが安心して受診でき、信頼される病院を目指します。目標に向かい一歩ずつ前に進んでいきます。皆で頑張りましょう。