徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

瀬戸内徳洲会病院(鹿児島県) 院長
星川 聖人(ほしかわまさと)

直言 生命 いのち だけは平等だ~

星川 聖人(ほしかわまさと)

瀬戸内徳洲会病院(鹿児島県) 院長

2023年(令和5年)06月19日 月曜日 徳洲新聞 NO.1394

職員と協力し精一杯できること増やし
安心・安全な医療を提供するのが責務
「これからどうするか」討論することこそ大切

「加計呂麻ブルー」と呼ばれるエメラルドグリーンの海が、夕刻になり次第にオレンジ色へと変化していく。静寂と幻想的な雰囲気に包まれる加計呂麻島を眺めながら、なんて綺麗な景色なんだろうと、余韻に浸っていると、遠くのほうから徐々に救急車のサイレンが聞こえてくる――。

圧倒的な自然に包まれる安心感と、救急車がいつ来るかわからない緊張感が離島医療には併存します。世界自然遺産の奄美大島の中でも、へき地にある当院は、病院経営の面では不利な立地ですが、“生命だけは平等だ”の理念の下、当院を建てられた徳田虎雄・名誉理事長の情熱と行動力に思いを馳せざるを得ません。離島医療を完結させることは、いつでも医療を受けられる状況をつくり、安心感を増すことに他ならないと思います。

突然の院長就任への打診 迷ったら困難な道に進む

奄美空港から車で約2時間、奄美大島南部の瀬戸内地域と加計呂麻島、請島、与路島をカバーするのが病床数60床の当院です。東上震一理事長から命を受け、2022年11月に院長に就任しました。出身は北海道帯広市で、冬は-20度を下回るとても寒い地域です。医師である父の影響もあり、大学は兵庫医科大学に進みました。6年生の時、学外実習で湘南藤沢徳洲会病院を2週間見学する機会がありました。次から次へと来る救急車、仕事をテキパキこなす研修医の姿を見て、徳洲会で研修したいと思いました。初期研修医として同院に入職したのですが、その忙しさは壮絶なものでした。24時間365日オープンを実現するには並大抵の努力では務まりません。医療ドラマに出てくる憧れの医師を目指したいと思う反面、睡眠不足により身体が付いていかないことも多々ありました。

2年次には離島・へき地研修があり、とくに奄美大島での研修が人気でした。このため枠の取り合いとなり、じゃんけんをして決めることになりました。最後のひと枠を運良く勝ち、名瀬徳洲会病院に2カ月間、研修に行くことができました。研修中、少しでも上達できるものはないかと思案し、目を付けたのが内視鏡です。応援診療で来られていた岸和田徳洲会病院の尾野亘先生(現・院長)率いる内視鏡チームの高い技術に魅せられ、また尾野先生から熱い勧誘を受け、その後、後期研修で岸和田病院に異動しました。同院では井上太郎先生(現・副院長)の指導の下、ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)をはじめ数多くの経験をさせていただきました。内視鏡が上達するにつれ内視鏡応援が増え、北海道から沖縄まで全国を飛び回り、離島・へき地医療に明け暮れる日々を過ごしていました。そんな折、「瀬戸内病院を助けてほしい」と離島ブロックから要請がありました。いつもの内視鏡応援かと思いきや、まさかの院長。医師10年目の私が? 冗談だろ? と当初は思いました。断ろうとも考えましたが、奄美大島の人たちは、とても優しく家族のように慕ってくれています。その人たちが困っているなら……。また、迷ったら困難な道へ進むと決めていたこともあり、院長になることを決意しました。

スタッフの意識改革から着手 緊急内視鏡を行う体制を整備

赴任当初、設備の関係や人手の問題により、「当院では緊急内視鏡はできません」とスタッフから、はっきり告げられ、いきなり壁にぶち当たったのを覚えています。緊急内視鏡ができるのが当たり前のつもりでいただけに衝撃的でした。当院から名瀬病院や県立大島病院に搬送するには救急車で約1時間かかります。搬送だけで患者さんやご家族、スタッフの負担もかなりのものです。「リスクがあるからといって、すぐに他院に搬送するのではなく、当院でできることは、できる限り当院で完結させよう」とスタッフの意識改革から着手しました。当初、スタッフは不安を抱えていましたが、教育と徹底的に無駄を省きシステム化して効率化することにより、緊急内視鏡を行う体制を整えることができました。できないのではなく、やり方を知らず不安なだけだったのです。スタッフと協力して、この地域で精一杯できることを増やし、安心・安全な医療を提供していくことが責務だと思っています。「今できないことや不足していること」ばかりに目を向けるのではなく、「これからどうするか」を討論することこそ大切です。どうぞよろしくお願いします。皆で頑張りましょう。

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