直言
Chokugen
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直言 ~
新納 直久(にいろなおひさ)
徳之島徳洲会病院(鹿児島県) 院長
2023年(令和5年)05月08日 月曜日 徳洲新聞 NO.1388
2022年7月1日から東上震一前院長(現・理事長)の後任として当院院長を務めさせていただいております。私は鹿児島県の離島、沖永良部島出身で、中学1年まで島で過ごしました。小学校6年生の時、体育館で徳田虎雄・名誉理事長(当時は理事長)の講演会があり、祖父の勧めで参加しました。
「はやめし はやぐそ びんぼうゆすり」
徳田先生が1日16時間もの大学受験の勉強時間を確保するために実行されたことですが、講演内容はほとんど覚えていないものの、このフレーズだけは未だ頭に残っています。離島からでも医学部に進学して医者になれるのだと励まされ、小学校入学前に腎炎を患い鹿児島本土で入院した経験とともに、医師を目指すきっかけとなりました。医学生だったある年の正月に徳田先生が、私がいる実家を訪ねてくださいました。来島の直前に「大阪で手術をしてきた!」と豪快に話される姿に圧倒されました。開院間もない沖永良部徳洲会病院のことに話が及んだ際、徳田先生は「あんたにこの病院あげるよ。赤字だけどな」とおっしゃいました。私はその言葉の真意がわからず、きょとんとしていたのではないかと思いますが、今思えば「病院は建てた。島出身者ならここで働きなさい」とおっしゃっていたのかもしれません。
私は1992年に九州大学を卒業しましたが、当時、同級生の9割以上が大学医局に入局する時代で、私もご多分にもれず産婦人科学教室に入局しました。その後は医局人事に従って勤務し、徳洲会とのご縁がないまま20年を過ごしました。ところが2013年に徳之島徳洲会病院の常勤の産婦人科医師が退職され、島でお産ができなくなるかもしれないという危機に直面していると耳にしました。医学生の頃からしばしば会いに来てくださる徳洲会の医師対策の方から「島で常勤医として働いていただける産婦人科医師を紹介いただけませんか?」と相談を受けました。当時、私は医局を出局し、福岡県でクリニックに勤務していたのですが、家族から「奄美のためにあなたがやってみたら?」と背中を押され14年4月に当院に着任しました。着任して要望が多かったのが、休止していた里帰り分娩の再開でした。いざ再開したものの、せっかく帰省したのに初回の妊婦健診で早産兆候を認め、島外へ母体搬送となった症例が2例続きました。本土であれば救急車で搬送ですが、離島では自衛隊ヘリなどによる搬送となり時間も要します。それまでの母体搬送と認識が大きく変わりました。リスクを最少にするために紹介元の病院と密に連絡を取り合う必要性をさらに強く感じました。また肩甲難産や分娩後出血など分娩時の急変で、搬送する時間的余裕のない症例に対応できるように、周産期救急に効果的に対処できる知識や能力を学ぶ教育コースであるAdvanced Life Support in Obstetrics(ALSO)を受講、インストラクター資格も取得し日々の診療にあたっております。
多くの離島・へき地病院と同様、当院もスタッフの確保に苦慮しています。とくに常勤医師不足は深刻で今年5月には常勤医師が産婦人科3人、循環器内科1人、小児科1人の計5人にまで減少する可能性があります。内科および外科常勤医師がいない窮地を、週替わりで湘南鎌倉総合病院の内科医師、八尾徳洲会総合病院、神戸徳洲会病院の外科医師、岸和田徳洲会病院の消化器内科医師に診療にあたっていただき、しのいでいます。グループの先生方のご協力に深く感謝申し上げます。
一方で、私も含めた産婦人科専門医の3人は、沖永良部病院や名瀬徳洲会病院で帝王切開や外来勤務などの形で診療参加させていただく機会もあります。また当院では循環器内科の診療は自院で治療が完結可能であるため、昨夏には沖永良部病院から急性心筋梗塞の患者さんをドクターヘリで当院へ搬送し、田代篤史副院長が緊急カテーテル治療を行ったケースもありました。今後も離島病院間での連携をさらに模索してまいります。
当院は25年に新築移転を控えております。ハンデも限界もある離島医療ですが、離島でしかできない経験や、やり甲斐もあると信じています。一緒に働いていただける仲間を大募集中です! 皆で頑張りましょう。