徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

開聞クリニック(鹿児島県) 院長
大田 健司(おおたけんじ)

直言 生命 いのち だけは平等だ~

大田 健司(おおたけんじ)

開聞クリニック(鹿児島県) 院長

2023年(令和5年)02月06日 月曜日 徳洲新聞 NO.1375

新病院を建設し山川病院と合併へ
大病院とも連携取れる施設目指す
これまで以上に南薩地区の医療に貢献

当院は26年前、薩摩半島の最南端、開聞岳の麓に86床の病院を想定し建設された6階建て19床の有床クリニックです。開院に合わせ耳鼻咽喉科を開設してほしいということで、私は佐賀医科大学から派遣医師として縁もゆかりもないこの地に赴任しました。大学病院の関連施設しか知りませんでしたので、この地域の医療レベルや医療に対する認識の違いに、とても驚き、さまざまな理由で適切な医療が受けられない方や、十分な介護が受けられない高齢者も多数おられることを知りました。道路整備が進み、へき地扱いはなくなったとしても距離が縮まる訳ではないのです。この地域を何とかしなければという思いで、耳鼻咽喉科外来でも各科の診療を行ったり相談を受けたりしながら情報発信も行いました。

多くの困難とぶつかりながら 時代に即したサービスを提供

反徳洲会勢力の強い地域でしたが、半年ほどで徐々に認知度も上がり患者さんも増えてきた頃、徳田虎雄理事長(現・名誉理事長)から「開聞は君に任せるから好きなようにやっていいよ。都会の病院が支えていくから大丈夫だ」と言われました。今思えば経験の浅い若い医師への無茶ぶりですが、当時の私は、その期待に応えるべく教授や医局と相談し院長を引き受けることにしました。自分にできることは目の前にいる人や地域に寄り添うことだと考え、開聞に永住覚悟で大学を離れ、今に至ります。内科担当の常勤医師と2人体制で診療し、この地での最善の医療を目指し努力しましたが、さすがに大きな施設を維持できるほどの収益はなく、グループに迷惑をかけました。常勤医師の確保に非常に苦労しましたし、地域に不足している診療科は非常勤医師に来てもらったり、各種介護サービスを提供したりするなど、医療制度や介護保険の変更などに合わせ、つねに手探りで歩んできました。多くの困難とぶつかりながらの試行錯誤の26年でしたが、幸いIT(情報技術)の進歩により、情報だけは地域格差が少なくなったことと、とにかく頑張るスタッフに恵まれ、時代に即したサービスを提供してきたと思います。もちろん、今まで続けてこられたのは、地域の方々の協力とグループの支えがあったからです。

現在は大きな施設をすべて使い、約50人のスタッフと共に外来と19床の病棟、18床の有料老人ホーム、大規模通所リハビリ、ヘルパーステーション、居宅介護支援事業所を運営しています。常勤医師は私だけで、非常勤で週3回午前のみの内科、週2日の眼科、週1回午後のみの整形外科という診療体制です。眼科は琉球大学から来ていただき、白内障の手術も行っています。高度医療は提供できませんが、近くにある徳洲会グループの山川病院と協力し医療と介護の役割分担を行い、地域に寄り添った幅広いサービスを提供しています。このほか台風後の独居高齢者の安否確認や停電時の炊き出し、生活保護申請や成年後見制度の手続きの手伝いなど、行政が手の届かないところまで介入することもあります。指宿の一大イベント、いぶすき菜の花マラソンのサポートも長年、行っています。

若い職員が誇りをもって働き この地域に必要とされ続ける

急激な人口減にともない周囲の医療・介護施設が閉鎖されるなか、当院の地域での重要性を評価していただき、建て替えの話をいただきました。コロナ禍となり常勤1人での診療に限界も感じ、過疎地とマンパワー不足という理由で躊躇していましたが、歴代理事長の地域医療への思いや東上震一理事長の離島・へき地医療に対する踏み込んだお考えを聞き、山川病院と合併して建て替えることになりました。過疎地とはいえ今後も後期高齢者が増え続けるこの地域に必要とされ続け、若いスタッフが誇りをもって働ける施設を目指します。山川病院の野口修二院長の地域に対する熱い思いもあり、大病院とも連携が取れるような施設建設に向け動き始めましたので、興味のある方がおられましたら、一緒に汗をかいてみませんか。鹿児島徳洲会病院も車で50分の場所に新築移転したことで、今まで以上に南薩地区の医療に貢献できそうです。グループの皆様のお陰でここまで来ることができました。本当にありがとうございます。新病院建設に向け、さらなる支援をいただくと思いますので、今後もよろしくお願いします。全国どこでも最善の医療が受けられるよう、皆で頑張りましょう。

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