徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

医療法人徳洲会 専務理事
名瀬徳洲会病院(鹿児島県) 総長
松浦 甲彰(まつうらこうしょう)

直言 生命 いのち だけは平等だ~

松浦 甲彰(まつうらこうしょう)

医療法人徳洲会 専務理事 名瀬徳洲会病院(鹿児島県) 総長

2022年(令和4年)10月17日 月曜日 徳洲新聞 NO.1360

喜界徳洲会病院が新築移転起工式
今を支える多くの方々に感謝の念
徳洲会の理念を追求する限り自由も愛も無限大

バスの窓から見えたのは緑のサトウキビ畑に囲まれた広大な赤土の土地でした。「この地に建物ができ、人が集まり、新たな活動が始まる」。夢や希望を抱かせたのは、喜界徳洲会病院新築移転地の起工式の場でした。人口7000人を割った島には、不釣り合いな病院建設計画ではとの驚きを感じつつ、感謝の気持ちが溢れてきました。25年前、私が勤務する名瀬徳洲会病院の起工式でも同じ驚きを感じましたが、感謝の気持ちより背負わされた責任や将来への不安のほうが勝っていたように記憶しています。しかし、その後の徳洲会の離島医療の歴史は、感謝の気持ちや幸せの境地に心を変えてくれました。

医療格差を埋める努力の裏に時として測りかねる苦しさも

この新たな計画のスタートを誰に感謝すべきなのか――徳洲会グループ創設者の徳田虎雄・名誉理事長への感謝はもちろんですが、これは徳田先生の手による計画ではありません。今を運営する皆さんの力による計画です。安富祖久明・前理事長(現・最高顧問)、東上震一理事長をはじめ執行部の皆さん、グループのすべての職員の皆さんに感謝の気持ちを伝えたいと思います。加えて地元から広大な土地を無償提供していただきました。地元の皆様にも感謝の気持ちを伝えたいと思います。また、このように地域の信頼をいただくことになったのは、喜界病院を懸命に支えてきた浦元智司院長および歴代院長はじめ多くの職員の努力の賜と理解しています。

私たちグループは医療格差を埋めるべく、何より救急医療に力を入れ、その地域で、数々の医療を提供してきました。その結果として格差が埋まり、時には他の地域よりも恵まれているのではという気持ちになることもありました。そのような一瞬幸せな気分になった時に思い出されたのは、「自分の病院だけ幸せで良いのか? 周りを見て弱いところがあれば助けるべき」という徳田先生が発していた言葉です。一見うまくいっている病院があると、その病院の片腕と呼ばれる存在を、困っている他院に配置するといった出来事も多々あったように記憶しています。その手法は時に強引で、無慈悲に映ることもありました。かつて私が徳之島徳洲会病院から名瀬病院に異動した時も自由を奪われた気持ちになり、「これでは徳洲会の将来はない」と考えたものです。少ない人数で支えられていた徳之島病院でさえ、そのような歴史がありました。その犠牲は正義だったのか、当時はもちろん今も答えを見出せていません。ただ、グループにとっても徳之島病院にとっても苦しい選択だったはずです。「なぜ、私は異動しないといけないのか」との問いに、当時の院長の答えは「お前の運命だ」。理解不能の一言でした。

「自分が存在意義のあるところで活躍したい!」

「自由を求め愛に生きる」。徳田先生の本の表紙に使われた言葉です。「その言葉に魅せられた」と語ったのを耳にしたのは、今年5月のことです。徳之島病院院長として当時勤務していた東上理事長の「8時会」での一言でした。「自由を求め愛に生きるとは、どういう生き方なのか? 私自身はどうだったのか?」。私も考える機会を得ました。私の医療人としての人生は、ほぼ離島での35年間です。地理的に隔てられた離島での生活は、働く時間の長さや学ぶチャンスの少なさなど不自由さを想像させますが、私は「自由を奪われた」気持ちになったことはありません。私の最も大切にしている意志は、「自分が存在意義のあるところで活躍したい」という点にあり、「患者さんにとって役立っている」と思えた診療の日々は、その意志から外れたものではありませんでした。私にとっての自由とは、「活躍の場があること」との結論に至りました。その自由を与えていただいた徳洲会に感謝したいと思いますし、その結論に出会えた東上理事長との出会いや、過去の経緯から躊躇する私を、徳之島病院に向かわせた安富祖・最高顧問に感謝したいと思います。

「愛に生きる」は患者さん・ご家族・社会に対する貢献そのものです。私たち医療人は、つねに愛に生きるチャンスをいただき、徳洲会は、自由に生きるチャンスをいただける組織だと考えます。“生命だけは平等だ”の理念を追求する限り、求める自由も、愛に生きるも、無限大のように見えてきます。皆で頑張りましょう。

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