直言
Chokugen
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直言 ~
松本 裕史(まつもとひろし)
医療法人徳洲会 専務理事 羽生総合病院(埼玉県) 院長
2022年(令和4年)09月12日 月曜日 徳洲新聞 NO.1355
徳洲会は来年設立50年を迎えます。私も徳田虎雄・名誉理事長(当時・理事長)から当院の院長を任されて20年目になります。20年前、徳洲会医療経営戦略セミナーで、徳田理事長はALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症されていたにもかかわらず、力強く話されていた姿が今でも目に浮かびます。
ほどなくして病状悪化のため、鈴木隆夫・元理事長が代わりを務められるようになりましたが、病床にあっても、いろいろな指示を出され、組織を背負う責任感を感じました。
もうひとつ強烈に印象に残っているのは、寺田康先生(現・庄内余目病院院長)と一緒に徳田理事長にお会いした時、「君たちに腹心の部下はおるか?」と尋ねられた後、「わしにはおるぞ」と徳洲会の屋台骨を支える方々の名前を淀みなく挙げられたことです。この組織が一人の力のみで出来上がってきたのではないことを、よく理解されていると感じました。
その後も新病院の開院が続き、組織は拡大し続けました。それによる歪みが一気に露見したのが、9年前の事件だったと思います。医療とは関係ない選挙違反容疑で、多くの職員が当局から事情聴取を受けました。これをきっかけに鈴木先生が理事長に就任、執行部体制が一新され、それまで徳洲会を支えてこられた重鎮の方々が、一人また一人と表舞台から姿を消されました。強力なリーダーが去った後、代わりとなる人材がいないことはよくあることで、その後のありようが未来を決めることになります。大抵の場合、集団指導体制を取りますが、いろいろな組織の矛盾が噴出した後の始末は困難を極めます。徳洲会が危機を乗り越えられたのは、とにもかくにも一致団結して乗り切ろうと努力したからこそだと思います。ただし、危機的状況を前にとりあえず団結したものの、それを乗り越えると、考え方の違いが表面化するのは、ある意味当然のことと思われます。それが2年前、コロナ禍の始まりの時の理事長選挙だったと思います。安富祖久明理事長(現・最高顧問)が選出され、新しい時代を迎えました。
その後、コロナ禍は、顔を合わせてコミュニケーションを取る機会を奪い去りました。こうした環境下、組織を持続可能にするためのガバナンス(統治)構築と、集団指導体制のなかでのリーダー選出の手続きが定められました。これらにより、一人の有能なリーダーに頼らないで持続可能となる組織運営の道筋ができたのではないかと思われます。その結果として東上震一理事長が誕生されたわけです。
ある調査によると、日本には100年以上存立している企業が4万186社あるとのことです。これら企業に共通する特徴は①創業の理念を保持し続けている、②常識に捉われない革新的なことをしている、③社員を大切にしている、④業界内だけではなく地域にも貢献している――などです。徳洲会がこの先50年の未来を創るための条件が示されていると思います。創業者が唱えた“生命だけは平等だ”、「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会を目指す」という理念の堅持が肝要です。はからずも、絶対的な創業者の手を離れたことで、私たちが目の前の患者さんを必死にお世話し得られた利益が、今まで以上に組織存続と幅広い社会貢献に利用できるようになったと思います。
東上理事長も表明されている、所在地にかかわらず施設更新を継続することは当然のこととして、もう一歩踏み込み、離島・へき地でも高度医療を提供できないか模索したいところです。病院に設備を備えておき、技術をもったスタッフが必要に応じ応援に出向くことができれば可能になると思います。移動手段として現在試験運用中の「ホンダジェット」に期待したいところです。さらに大学を通じた医療人の育成や、徳洲会のビッグデータを活用した医学研究への貢献、海外医療支援など、医療で得られた利益を医療の発展のために還元する姿勢を永続的に示していく必要があります。私たちは徳洲会という大きな船の一員です。一人の力では動かせない巨艦です。それゆえリーダーを中心に一人ひとりが協力し合って、100年続く組織にしていこうではありませんか。
皆で頑張りましょう。