徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

福岡徳洲会病院 総長
貞島 博通(さだしまひろみち)

直言 生命 いのち だけは平等だ~

貞島 博通(さだしまひろみち)

福岡徳洲会病院 総長

2022年(令和4年)02月21日 月曜日 徳洲新聞 NO.1326

人を惹き付け説得し納得させ引き寄せる
魔法のような力もつ佐藤耕造先生を偲ぶ
「どこにも負けない病院つくる」遺志を継ぐ

あの佐藤耕造先生が逝ってしまわれました。先生は1982年、当時350床の当院の2代目院長として入職されました。唯一の脳外科医で、真夜中、緊急治療のため1時間半、車を飛ばし病院に向かわれ、その間、我々研修医は血管造影検査をしながら先生の到着を患者さん、ご家族とともに、ひたすら待つなど、さまざまな出来事が思い出されます。

当院は困難のなか、短期間で急成長しました。先生は院長就任当初から総合病院をつくる決意をいつも口にされていました。87年には脳卒中、循環器、新生児 、熱傷の4センター病棟を設け、600床に増床となりました。4年以内に11診療科が次々と新設され、92年には念願の総合病院の承認も得ました。

短期間で当院を急成長させ その後は6病院を立て直す

9年間の院長職の後、専務理事に就かれ、その後、経営的に危機に陥ったグループ病院の院長を引き受けられ、2~3年で立て直しては、またすぐ次の危機的病院の院長になられ、合計6病院を立て直されました。

当院を急成長させ、6病院を立て直す、それも短期間のうちに――。どうしてそんな離れ業ができるのか、とくに忙しそうでもない、でも、いつの間にか成功しているのです。それを自慢するわけでもなく、つねに自然体でした。話をする時は煙草を吸い、笑いながら、とりとめのない話をしているだけです。人を惹き付け、説得し、納得させ、病院に引き寄せる魔法のような力は、一体どこにあるのか。先生は笑いながら「とくに説得するわけではない。話しているうちに相手が自然と納得してくれる。翌日には大体同意してくれる」。実際、「コーヒー一杯で引き抜かれてしまった」という先生もいるほどです。煙草と読書と囲碁とゴルフを愛した佐藤先生の人間的魅力と奥深さというほかありません。

アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲先生とも親しく、4カ月ほど当院で一緒に勤務されたこともあり、パキスタンのペシャワール赴任時からピンセットなど医療用具の寄付や、活動費のバックアップをされていました。中村先生の誘いで2回ほど現地を訪れ、2010年にはアフガニスタンの「緑の大地計画」で緑地が復活し、モスク(精神的支えとなる集会所)ができた村を見学されています。

穏やかな語り口のなかに 愛情に根差した芯の強さ

我々のために佐藤先生は、中村先生が帰国するたびに現地活動報告会を開き、新しい著作が出るたびに紹介されました。中村先生はハンセン病予防の靴をつくり、干ばつのために井戸を掘り、さらに干ばつが深刻化したらクナール川から水路を引き始めるなど、その活躍ぶりに佐藤先生は驚嘆されていました。砂漠を緑地に変え約60万人を救った業績は、今や多くの人たちの知るところとなりました。両先生に共通するのは、穏やかな語り口のなかにある愛情に根差した芯の強さと感じています。

06年、私が院長を務めていた宇和島徳洲会病院で起きた修復腎移植問題で、佐藤先生にひとかたならぬお世話になりました。06年から約8年間、同院の倫理委員会委員長を引き受けていただき、大いなる苦労をおかけしました。先生にとって、つらい仕事であったと思われますが、嫌な顔をされることなく、淡々とこなされていました。佐藤先生をはじめ多方面の方々のお陰で、現在、修復腎移植は先進医療の承認を受けています。

仕事の合間に会食することがあり、14年の福岡病院の新築移転構想を語っていただいたことがあります。土地の拡充のためセメント工場や民家、畑の買収に難渋していること、がん治療まで担う病院を建てること、高度急性期病院でありながら回復期リハビリテーション病棟をつくることについて熱く話されていました。当院を急成長させた先生から見れば、新築移転は最後の総仕上げと映っていたことでしょう。その想いを垣間見た時、当院をもう一段大きくし「どこにも負けない病院を建てる」覚悟を先生から感じました。

現在、当院は80万医療圏をカバーし24時間365日、年間約1万台の救急車を受け入れ、院長をはじめ全職員でコロナと闘いながら地域の高度急性期医療を必死に守っています。佐藤先生の想いを大事にしながら、少しでもその遺志に近づけるよう、毎日頑張ってまいります。

佐藤先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

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