徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

名瀬徳洲会病院(鹿児島県) 院長
松浦 甲彰(まつうらこうしょう)

直言 生命 いのち だけは平等だ~

松浦 甲彰(まつうらこうしょう)

名瀬徳洲会病院(鹿児島県) 院長

2022年(令和4年)01月24日 月曜日 徳洲新聞 NO.1322

発達する移動手段とICT活用し人材確保
医療格差を埋める徳洲会の飽くなき闘い
島に大きな病院建てた徳田・名誉理事長に感謝

1月8日、当院が立地する奄美大島は沖縄県と並んで新型コロナ感染拡大の真っただ中です。押し寄せる発熱患者さんに対し、休日返上で対応している職員に、感謝の気持ちを伝えたいと思います。この「直言」が掲載される頃には、皆さんの地域でも同様の闘いが強いられていることでしょう。今回の第6波も力を合わせて乗りきらなければなりません。当院はこれまで幸運にも院内感染を免れてきました。これは職員の感染対策はもちろんのことですが、新型コロナ検査手段としてLAMP(ランプ)法検査機器を入手できたことが、とても力になりました。現在、感染拡大のただ中にあっても、同機器は職員の感染対策としてはもとより、地域からの検査要請にも応えることができ、大活躍です。同機器の入手に素早く対応していただいた徳洲会幹部および一般社団法人徳洲会担当の皆様に、あらためてお礼を申し述べたいと思います。ありがとうございました。

「結の島ナースプロジェクト」 70人に上る看護師採用に結実

今の名瀬徳洲会病院が開院したのは24年前の1997年12月のことでした。その1年前の冬はインフルエンザの嵐が吹き荒れ、60床の小さな病院であった旧・名瀬病院では外来観察室も入院病室として利用せざるを得ない状況に陥っていました。鹿児島県全体でも人工呼吸器が底をつき、名瀬病院も入院治療を断らざるを得ませんでした。「もはや、病床も人工呼吸器もありません」と返事をするしかなかった当時を思い出します。時代背景もあり、その時の状況を悲劇として耳にすることはありません。翌年、300床規模の現病院が完成し、「満床」で断わらざるを得ないという状況はなくなりました。今回のコロナ禍でも地域の皆さんへの貢献ができていることを誇らしく思うのですが、この24年の間に発生した台風や奄美豪雨災害などのたびに、当院があることのありがたさを思い知らされてきました。それらは、恵まれた規模の病院と、大勢の仲間がいたことでできたことであり、大きな病院をつくっていただいた徳田虎雄・名誉理事長に、あらためて感謝の意を表します。

奄美大島、徳之島などが昨年7月26日に世界自然遺産に登録されました。島の自然も島民だけのものではなくなり世界の財産となりました。コロナ禍もそうであるように、これもグローバル化の波と理解しています。観光客など来島者が増えてきそうです。島がどのようにグローバル化し変貌していくのか予測はできませんが、期待したい部分もあります。ただ、現状は人口減と高齢化が深刻で、病院では職員採用に頭を抱えています。難しい問題ではありますが、グローバル化をもたらした移動手段やICT(情報通信技術)の充実が解決の糸口になってくれるかもしれません。一例ですが、離島ブロックでは看護師採用手段として、2018年より国際医療ボランティア団体のNPO法人ジャパンハート(吉岡秀人代表)から協力をいただき「結の島ナースプロジェクト」を企画して、奄美の島々と離島医療の魅力をネット配信しています。その結果、70人の看護師採用に結び付きました。他職種についても学生実習などを積極的に行っていますが、同プロジェクトが行っているような細やかな情報発信と対応が、人材確保の良き手段となりそうです。

人生の意味を大きくした 徳洲会の自由な医療風土

徳洲会創設者の徳田・名誉理事長が最初に掲げた目標は、「誰もが生命を安心して預けられる病院」を故郷の徳之島につくることでした。計画は実行され、島の医療が格段に充実し、恵まれた医療環境となりました。しかしながら、医学の進歩は離島では対応できない新たな医療技術を日々生み出し、さらなる医療格差が生じています。私たちのグループも、その格差を埋めるべく医療スタッフを数多く招聘(しょうへい)し、緊急手術、内視鏡治療、カテーテル治療など多様な形で対応してきました。医療格差を埋めようとする徳洲会の取り組みは、ゴールの見えない苦しい闘いにも見えます。ただ、考えてみれば、私たち一人ひとりにとっては、終わりのない闘いではありません。私にとっては自分の可能性を引き出し、人生の意味を大きくしてくれたのが徳洲会の自由な医療であったと考えています。これからも必要とされる間は、皆さんとともに頑張りたいです。よろしくお願いいたします。

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