直言
Chokugen
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直言 ~
井上 和人(いのうえかずと)
大和徳洲会病院(神奈川県) 院長
2021年(令和3年)3月22日 月曜日 徳洲新聞 NO.1279
1月に当院院長に就任いたしました。当院が立地する大和市は横浜市の西隣にあり、平安時代、平家の有力な一族である渋谷氏の宗家の本拠地、渋谷荘(園)から発展した町です。渋谷荘は若者の街、東京都の「渋谷」の起源だそうです。その歴史ある大和市の駅前に、旧・茅ヶ崎徳洲会病院(神奈川県)に次いで2番目の関東の徳洲会病院として1981年に建てられたのが当院です。開設以来、救急を中心に県中部の地域医療を担ってきましたが、建物が老朽化したため同じ敷地内に建て替えを計画。18年4月に医療機器も一新し新病院として生まれ変わりました。同じ敷地内に建て替えたのは他に適切な候補地がなかったからですが、おかげで小田急(おだきゅう)線、相鉄(そうてつ)線が交わる交通の要衝、大和駅から徒歩3分の地の利を維持しています。
1月後半、県内は感染爆発の状況となりました。PCR検査陽性率が上昇し、病床利用率は重症、中等・軽症ともそれまでの70%から急に90%を超え、新たに陽性患者さんが発生しても県が患者さんを割り振ることができなくなりました。当院の発熱外来にも多数の患者さんが押し寄せました。当院は建物の構造上、陽性患者さんの積極的な受け入れができず、それまで発熱外来受診後や救急搬入後に帰宅ができず入院し、その後のLAMP(ランプ)検査で陽性が判明した患者さんや、院内発生の陽性患者さん向けの隔離病床を維持してきました。しかし1月後半から隔離病棟が満床となり、肺炎で救急搬送された患者さんは救急外来(ER)で一夜を明かし、朝、LAMP検査(現在は夜間も随時PCR検査が可能)で陽性となった場合は県内外の搬送先を探しました。職員は外来、ER、検査室、病棟とも昼夜フル稼働に加え、搬送先探しの架電に追われました。マニュアルにない事態は幹部が駆け付け対応しました。当院から180㎞離れた榛原総合病院(静岡県)からも受け入れ可能と言っていただき、搬送は実現しませんでしたが、グループのありがたさを痛感しました。2月7日から延長された緊急事態宣言によって患者数は激減し危機は一旦去りましたが、第4波に備え狭いながらプレハブ棟を建設しています。
現在、医療界では急性期病床のコンパクト化が進んでいます。一方で高齢化が進むなか、悪性腫瘍や脳血管・循環器、外傷などに対する重症急性期病床には強いニーズがあり、近隣には大規模・高機能な大学付属病院が多数林立しています。当院は好立地ですが、それ故に敷地や建物に制限が多く、この病床増床で勝負することは不可能です。当院がこの地で急性期病院として踏ん張るためには、救急を受け入れるだけではなく、「患者さんを早期にメキメキ良くする」高機能病院になることが必須の課題です。職員の皆が危機意識をもち、協力して病院に磨きをかけ続けなければいけないと思います。電車を乗り継いででも来ていただけるような専門性の強化も必要と考えます。私は肝臓・胆道・膵臓(すいぞう)のがんの外科を専門施設で30年以上研鑽(けんさん)しました。消化器内科には内視鏡に秀でた先生が加わりましたので、共にがん治療の先頭に立って努力してまいります。循環器内科にも新任の先生を迎え今月から不整脈治療を開始します。ロボット手術も準備を進めています。そして何よりも大切なのは患者さん、ご家族、そして職員にも親切で温かい病院であることです。私はある時、イタリアの友人から「親切とは初対面の対応だけではなく、困った人がいれば、その解決法が見つかるまで付き合うことだ」と言われ、患者さんの病気・治療に対して最後まで責任をもつべきと悟りました。「生命を安心して預けられる」とは最善の医療を行いつつ、途中で投げ出さないということであると思います。
皆で頑張りましょう。