徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

馬場 淳臣(ばばあつおみ)日野病院院長(神奈川県)

直言 生命 いのち だけは平等だ~

馬場 淳臣(ばばあつおみ)

日野病院院長(神奈川県)

2020年(令和2年)7月13日 月曜日 徳洲新聞 NO.1244

地鎮祭行い新病院に向けスタートライン
紆余曲折を経て現在地での建て替え決定
新理事長の下で理念に基づき患者さんへ貢献

2020年6月23日、日野病院新築のための地鎮祭を行いました。新築場所は横浜市港南区に立地する現病院の敷地内です。

新型コロナウイルス感染症予防の観点から参加者は少なく、神事の後の直会(なおらい)(会食)もなく、こじんまりとしたものでしたが、身の引き締まる思いでした。課題は山積みですが、新しい日野病院に向け、ようやくスタートラインに立つことができました。

1959年に開院した当院が、グループ唯一の精神科病院として徳洲会に加わったのは2002年8月1日、とても暑い日でした。ほとんどの病院職員は当日まで知らず、いきなり朝礼で「今日から日野病院は徳洲会になりました」と言われ、どこかで見たことのある、目がぎょろっとした、やたらに迫力と愛嬌のある徳田虎雄・元理事長から「半年以内にこの病院を新築する!」との宣言を聞いたのです。スタッフは皆ビックリ。「はじめまして。今日から院長になった馬場です」と弱々しく挨拶した僕もビックリでした。

「自分自身が入院できる精神科病院をつくろう」

あの日から18年。思えば長い「半年」でした。

病院の忘年会で「来年は新築に向けて頑張りましょう」と挨拶をするのですが、年を追うごとに声は小さくなり、しまいには「新築するする詐欺」と話すこともありました。でも18年前に古参のある院長先生からうかがった「徳洲会は、大ボラは吹くが、決して噓はつかない」との言葉を頼りに今日までやって来ました。気付けば自分が古参院長の部類に入りつつあります。

時間がかかってしまったのは、ひとえに自分の努力不足が原因です。新築を待ち続けている患者さんや職員の皆さんに、あらためてお詫び申し上げます。少しだけ愚痴を言わせていただければ、精神科病院の新築は一般病院と比べて難しいのです。

最大のハードルは土地探しでした。たくさんの候補地が挙がりましたが、最後には「精神科の病院はカンベンして」と断られてしまうのがつねでした。

精神科病院が近所にあるのはイヤ。これは日本中で起こっていることです。新築計画を立てても住民の方々の反対運動で、うまくいかない精神科病院がたくさんあります。

「精神科医療の必要性や重要性はわかる。でも自分の知らないところでやってほしい」。多くの方々がそう感じています。自分や自分の身内が精神科を受診するまで他人事。どんな病気も一生「他人事」ですめば、こんなに幸せなことはありませんが、それはあまりにも楽天的な見とおし。一生の間に4人に1人以上の方が精神科にかかわりをもつと言われています。だから僕は常々スタッフに「自分が入院できる精神科病院をつくろう」と伝えています。そして、そのために当院は新築するのです。

紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、結局、現在と同じ場所に新築することとなりました。そう決めたのは、土地が見つからなかったことだけが理由ではありません。

経過が長い疾患もあるため同地で続ける意味は大きい

精神科の病気には、経過が長いものがあります。20代で病気になり、当院に入院して、それからずっと病院に通い続けて70代を迎えた方がいます。通院するため、わざわざ近所に引っ越してきた方もいます。そのような方々のことを思うと、「この場所で、しっかりと仕事を続けることの意味は計り知れない」と思い至りました。

18年前に院長を拝命した時、徳田・元理事長に「日本で一番の精神科病院になれ」と命じられました。「その間に、我がほうは世界で一番の病院になる」と。いきなり日本一は無理なので職員には「横浜市港南区で一番を目指そう」と言い、皆で努力してきました。『医者がすすめる専門病院』という本に載せてもらったり、横浜市の市長さんから表彰を受けたりもしました。敏腕事務部長のおかげで経営も何とかなってきました。

今のところ港南区では精神科病院が2病院あり、二番手です。しかし新病院が建ったら、一番になることを誓います。ホラは吹いても噓はつきませんから。

地鎮祭にも参加されていた一般社団法人徳洲会の鈴木隆夫理事長(当時)から、6月28日、安富祖久明・新理事長に徳洲会のトップがバトンタッチされました。徳洲会、そして日野病院はこれからも変わらず、理念に基づき、患者さん・利用者さんのために貢献していきます。

皆で頑張りましょう。

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