松浦 甲彰(名瀬徳洲会病院院長)

徳洲新聞2014年(平成26年)12/22 月曜日 NO.960

国内外から奇跡と呼ばれた離島医療 28年間苦労と闘い続けた仲間の歴史 理想実現の要は徳洲会グループの支援

鹿児島本土へ370㎞、沖縄本島まで190㎞、今も昔も変わることのない距離に、離島としては日本有数の人口規模を有する奄美大島があります。その医療への取り組みは、1986年、徳之島徳洲会病院の開設とともにスタート。開設前の徳之島は3万人を超える人口を抱えながら、開腹手術や骨接合術など、本土なら中規模病院で普通に提供できる治療が受けられない状況にありました。そのため島外へ出る余力のない人たちは、取り残されていたのです。

こうした状況は同院開設と同時に改善され、その後、すべての奄美群島の医療に私たちのグループの取り組みが行き渡るようになりました。以来28年。国内外から数多くの方たちが視察に来られ、異口同音に驚きと感動を述べられ、時に「奇跡」という表現で私たちにメッセージを残されました。徳洲会グループへの理解が得られたことで、私たちは大いなる勇気をいただき、そして誇りを手にすることができました。

28年経っても、変わらないものがあります。少数のスタッフで支えられた離島医療は、欠員により即、医療サービスの低下という困難な状況が現れます。人的不足の埋め合わせのために、今も多くの労力と資金が費やされています。医師ひとり離れることで機能停止につながる病院にあっては、時に島から離れられないストレスと対峙(たいじ)しなければなりません。28年は、その苦労と闘い続けた仲間たちの歴史でもありました。

生活基盤を築いてくれる人の確保は離島病院にとって宿命

グループとしての人的手当ても間断なく続けられてきました。離島でのスタッフの確保と流出は目まぐるしく繰り返されます。流出は、離島ならではの避け難い理由によるものです。それゆえに、それぞれの島で生きがいを見付け、生活の基盤を築いてくれる人の確保に日夜傾ける努力は、私たちの宿命であると再認識しなければなりません。

時を経て、変わったことがあります。徳田虎雄・前理事長が命がけでつくられた病院も、年を重ねたことです。沖永良部(おきのえらぶ)島や喜界(きかい)島の病院は建物の老朽化が著しく、診療にも支障が出るようになっています。歴史を重ねたことには深い感慨もありますが、この変化をしっかりと受け止めなければなりません。

ここ数年、建て替えの計画を何度か耳にしましたが、残念なことに実現には至っていません。変わりゆく病院の姿を目の当たりにし、グループの誰もが再生させる覚悟をともにもってほしいと願います。離島医療に集った人たちも、年を重ねました。思いをひとつにしてきた人たちが、少なからず退いていきます。歴史を重ねることで得たものは、確実に財産となっていますが、その歴史をつくり上げてきた人たちの思いが薄らいでいくことの危惧(きぐ)を、多くの方々が抱いているはずです。

朗報は沖永良部徳洲会病院建て替え実現に向けた動き

28年の歴史が教えてくれたことがあります。理想とする離島病院は、常勤で腰を据えるスタッフと応援スタッフとのバランスの取れた構成の上に成り立つということです。そのためにグループの支援が絶えず必要でした。理想とする離島医療が存在し続けるには、徳洲会グループの支援が不可欠であることを改めてお伝えしたいと思います。

最近、嬉しいニュースを耳にしました。沖永良部徳洲会病院の建て替えが、実現に向け動き出したことです。前理事長が開設した離島の病院群のなかで、初めての建て替えです。ぜひ成功させ、再生のスタートになればと願います。

変わらぬもの、変えられないものがあります。「離島の医療はグループの支援なしには存在し得ない」ことです。一方、変わったこととして「私たちが年を重ね、新しい仲間が増えた」ことと「建物の老朽化」があり、眼前に突き付けられています。

不変のものに対しては、これまで同様の、あるいはそれ以上の努力を続けるしかなく、老朽化に対しては継承・再生へ努力をするしかありません。その努力により、徳洲会の奇跡は将来にわたり引き継がれます。この夏、札幌南青洲病院を訪問する機会を得ました。そこで、ホスピスの心とは弱さに仕える心との教えをいただきました。これからも弱い立場の人々に仕える徳洲会グループであり続けたいと思います。その理念が離島の医療をここまで発展させ、グループを発展させてきたことは、28年の歴史が教え、証明してくれています。

皆で頑張りましょう。