伊東直哉 瀬戸内徳洲会病院医局長/朴澤憲和 瀬戸内徳洲会病院副医局長

徳洲新聞2013年(平成25年)12/23 月曜日 NO.909

離島は総合診療の最高の舞台 患者さんから数多くを学んだ 活動をサポートしてくれる人も増加

「離島は総合診療・医学教育を行ううえでの最高の舞台」。これは、私たちが離島で実感していることです。私たちは当院に来るまで、大阪府堺市の市立堺病院の総合内科シニアレジデントでした。同院は全国的に医学教育で知られ、教育熱心な医師が多い施設でした。一方で、いつかこの居心地のいい場所を飛び出し、過酷な環境で自身の臨床能力を試したいとの思いがありました。当時、同院先輩の平島修先生(現・加計呂麻(かけろま)徳洲会診療所所長)が、地域医療研修で瀬戸内徳洲会病院で非常に良い経験をしたと話していたので、まず私(伊東)が昨年4月に当院への赴任を決めました。年末に決断したため、急遽(きゅうきょ)、公務員の妻に仕事を辞めてもらったのは申し訳なく思いましたが、それほど深い決断ではありませんでした。

赴任当初は外科の院長と私と研修医2人のみ。願ったり叶ったりの過酷な環境でしたが、総合診療の実践には最高のフィールドでした。

当院は奄美(あまみ)大島南部の救急患者さんのほぼ9割を受け入れています。外来・病棟だけでなく、訪問診療も実施。都市部の病院では診療科の垣根があり、担当することのなかった患者さんたちの診療を受けもち、多くの臨床経験を積み、臨床能力が高まりました。さらに、医学的なこと以上に島の患者さんたちから数多くのことを教わりました。

家族からお礼を言われた時医師で良かったと心底思う

ある日、定期外来を受診中の患者さんが私のところに来られました。年齢の割にしっかりした足取りで、はっきりした話し方をされる方でした。採血結果に目をやると、汎(はん)血球減少(すべての血液の細胞が少ないこと)があり、後日、骨髄穿刺(こつずいせんし)(血液の細胞の工場である骨髄を調べる検査)を受けていただきました。結果は急性骨髄性白血病(血液がん)でした。

当院では白血病の抗がん剤治療ができない旨(むね)を話し、大学病院の血液内科を紹介、受診していただきましたが、結果として高齢で体力面からも抗がん剤治療を断念、帰島されました。当院の外来に通われ入院もありましたが、最期を自宅で迎えたいというご希望に沿い、退院後は当院の訪問診療を利用していただきました。

私が訪問診察に伺うと、体調が悪いにもかかわらず、いつも笑顔で、病院滞在時よりもむしろ元気な印象でした。亡くなられた日の朝は、ご家族に見守られるなかで死亡確認をさせていただきました。皆、涙され、私も涙しました。家という環境が、私と患者さんとの心の距離を縮めていると実感しました。ご家族からお礼を言われた時、心底、医師で良かったと思いました。恥ずかしい限りですが、この数年で死に慣れ過ぎて、患者さんの死に涙したことは研修医時代以来ありませんでした。今回、病気を診るのでなく〝人〟、その人の〝人生〟を診ることを教わった気がしました。

将来、どの診療科で働くにせよ、離島勤務はとても貴重な経験ができます。赴任前は医師数が少なく教育どころではないと思っていましたが、まったく逆でした。当院は研修医と一緒に、ほぼすべての外来・病棟・救急・訪問の患者さんの診療を行うため、その場で医学的技術・知識の教育ができ、何よりも都市部の病院では経験できない感情の共有が可能です。今年4月には私の活動に共感してくれた市立堺病院の後輩、朴澤憲和(ほうざわのりかず)先生と先輩の平島先生が当院に赴任しました。

肺炎患者さんを関西移送時グループのありがたみ知る

朴澤先生自身も赴任後、当院で貴重な体験をしました。島に旅行中の方が重症肺炎で当院に救急搬送されたのです。呼吸状態が悪くすぐに挿管、朴澤先生が人工呼吸器管理をしました。在宅酸素を使っていた方で、もともと呼吸状態も悪かったため、なかなか人工呼吸器を外せません。そこで気管切開を行い、長期入院になったものの、徐々にリハビリが進み、全身状態も改善傾向に。患者さんは絶対に家に帰るという強い気持ちがありました。

それを汲み患者さんの大移動計画を実施。意地でも無事に帰したいとの熱い思いがありました。呼吸状態も落ち着いてきたとはいえ、気管切開されている状況で、移動は常に医師の同伴が必要でした。朴澤先生が付き添って奄美空港から伊丹(いたみ)空港へ飛び、宇治徳洲会病院のご好意で、車を借りて患者さんのご自宅まで4時間かけて無事に役目を終えました。後日、転院先で気管切開も必要ない状況になったと、お便りをいただいた朴澤先生は、とても嬉しく思ったようです。またグループのありがたみも感じることができました。

私たちの活動に興味をもち、サポートしてくれる人も増えました。月1回は、湘南鎌倉総合病院のブランチ先生に困っている症例の相談に乗ってもらい、市立堺病院同期の兵庫県立尼崎(あまがさき)病院の仲間たちとケースカンファレンスを行っています。また研修医と経験した教育的な症例は学会発表するなど、離島から全国に向け情報発信を行っています。

私たちは離島での活動を数年と決めています。今の最大の使命はこの活動を継続するシステムづくりで、これには医師が循環するシステムが必須です。離島は医師を育てる最高の舞台と、若手医師に知ってほしいと思います。離島医療のため、皆で頑張りましょう。