満元洋二郎(名瀬徳洲会病院総長 医療法人徳洲会常務理事)

徳洲新聞2013年(平成25年)8/5 月曜日 NO.889

離島医療の危機を救ってくれた若手研修医たち 離島ブロックに総合診療研修センターの設置を 患者さんを気持ちよく迎え気持ちよく帰っていただく病院に

奄美大島に帰郷して10年余が経ちました。当初、瀬戸内徳洲会病院に入職した私は、徳洲会の理念である「いつでも、どこでも、だれでもが最善の医療を受けられる社会」を目標とし、最先端の医療を目指しました。徳田虎雄理事長には、わずか60床の病院である瀬戸内病院に、鏡視下手術ができる医療機器を導入していただきました。

出雲徳洲会病院の田原英樹院長の協力を得て、胆嚢(たんのう)摘出術をはじめ大腸切除、胃切除、食道切除・再建術、ヘルニア根治術を鏡視下で行いました。しかし、長続きしませんでした。医師・看護師不足が最大の理由です。離島の病院ではスタッフ個々の役割が重く、1人の医師の転勤・退職で病院の方向性も変わります。だからこそ、人材不足を前提に、離島の病院が生き残るための策を講じなければなりません。

来年度には医療費の削減があると報じられ、消費税のアップも確実視されています。当然、患者さんたちの病院離れが起きることでしょう。それに対して、私たちができることは何か。意外なところに、対抗策を見出すことができました。それは若手医師の確保です。

患者さんとの大切なコミュニケーション

私がいる名瀬徳洲会病院は徳洲会離島ブロックの基幹病院です。親病院として離島とへき地の病院・診療所や介護施設を守らなければなりません。松浦甲彰(こうしょう)院長の覚悟の下、当院の医局から桶田(おけた)順一医師と蛭田(ひるた)芳文医師が、それぞれ宇検(うけん)診療所、加計呂麻(かけろま)徳洲会診療所へ診療所所長として着任。北原淳詞(あつし)医師と島袋(しまぶくろ)盛一医師は、瀬戸内病院で頑張ってもらいました。気が付けば、当院の医師充足率は常勤と非常勤を合わせても70%台まで低下。その窮状(きゅうじょう)を救ったのが、若手医師たちの離島医療への参加でした。

堺市立堺病院から個性豊かな3人の若手内科医が瀬戸内病院に入職してきたのです。まず、伊東直哉医師が薬剤師である夫人とともに着任。1年後の今年4月には朴澤(ほうざわ)憲和医師と平島修医師が参加しました。徳洲会グループの初期・後期研修医以外にも、不定期ではありますが飯塚病院、市立堺病院、熊本大学附属病院、八戸(はちのへ)市立市民病院から研修医が参加しています。名瀬病院には、徳之島徳洲会病院の上山(かみやま)泰男院長の配慮で関西医科大学附属病院から研修医が参加。現在では研修指定病院が医師対策を行ううえで、離島の病院に研修に行けることが謳(うた)い文句のひとつのようです。

離島研修は、隣に専門医がいる都市部の病院とは違って、たった1人で診療することが多く、とても勉強になるのです。

離島の全病院が黒字経営 私たちが胸を張れる誇り

救急は入院してもらい様子を見ることが理想です。過去に、自宅に戻ってから異常が発生した患者さんの例もありました。救急を受診するのは、自分の体に異変を感じているからです。入院については「少し様子を見ましょう」と話し、翌朝、大丈夫であれば「何もなくてよかったですね」と言って帰っていただく。これも患者さんとの大切なコミュニケーションです。気持ちよく迎えて気持ちよく帰っていただくこと。これは人のもつ免疫力と治癒力を促す手助けとなる大きな治療手段です。

理想と現実について言うならば、現実があるからこそ夢を語ることができ、夢があるからこそ頑張ることができるのです。若い人たちが離島医療に見るのは夢を実現させることだと思います。私は彼らに、総合診療医になってもらいたいと願っています。

榛原(はいばら)総合病院の今村正敏院長は、家庭医療科を新設して幅広い疾患に対応できる医師を育てたいと話されています。今村院長のお力も借りて、離島ブロックに総合診療研修センターを設置し、若手の医師たちに新たなフィールドを提供したいと思っています。

そして、総合医に育った若い医師に、これまでお世話になった岸和田徳洲会病院をはじめとするグループ病院や新設の吹田(すいた)徳洲会病院を応援してもらうのが、私の目下の夢です。

離島の病院には"スター医師"がいません。大切なのは患者さんをどう診るかで、そこにスター医師は不要です。それでも、離島の7病院は黒字です。父はいつも「自分の食い扶持(ぶち)は自分で稼げ」と言っていましたが、離島の全病院が黒字であることは私たちの誇りです。離島の医療が、日本の病院のビジネスモデルになることを目指し、皆で頑張りましょう。