徳洲新聞2012年(平成24年)11/19 月曜日 NO.852 |
奄美の人たちにとって徳洲会抜きの地域医療は不可能 離島医療に奇跡を生んだ徳田理事長の強い思いを知る
徳田虎雄理事長のメッセージが、遠く離れた奄美にたびたび届きます。徳洲会初の離島病院となる徳之島徳洲会病院開設から26年を経ても、理事長の思いが変わらないことをつねに感じます。奄美の医療は、進歩と後退を繰り返し発展してきました。その行く末を案ずる理事長の気がかりは、ますます大きくなったように感じます。だからこそ、故郷の医療に対する誰よりも強い思いを発信し続けるのです。
離島医療の困難は26年前と大きな違いはなく、医師・看護師らスタッフ不足は共通の課題です。変わったのは、奄美に7病院を含め30の医療・福祉施設が出来上がっていることです。
これは、徳田理事長の強い思いとその情熱に動かされてきた人たちの苦労の結晶であり、奇跡です。「努力、努力、また努力、無理な努力、無駄な努力、無茶苦茶な努力」は、何度も耳にした理事長の言葉です。どの離島の病院も、理事長と多くの人たちの懸命の努力で築かれ維持されてきました。しかし、医療機器の充足はできても、人材が確保できているとは到底いえません。経営的には何とか収支を維持しながらも人材不足は深刻で、グループ内外の協力と支援で何とかしのいでいるのが現状です。「生命(いのち)だけは平等だ」の理念を実践することで、全国の離島・僻地(へきち)医療と比較しても奄美は恵まれていると思います。それでも、海で隔(へだ)てられ、県境に位置し、ドクターヘリがなかなか届かない離島であることから都市部に比べ今も解決しがたい医療格差があり、残念なことにさらに幾多の問題も抱えています。「生命だけは平等だ」は目標でも、ときには仕方のない、我慢するしかないこともあり得ることを思い知らされます。しかし今、奄美の人たちにとって徳洲会抜きの地域医療を想像することは不可能でしょう。この奄美で、2000人を超える医療福祉に携(たずさ)わる人たちがいて、グループの支援とともに成り立つ奇跡の医療が行われているからです。
医療人にとり、「弱きを助ける医療」はごく当たり前のことですが、その考えは共通していても第一の信念として追求し続けるには強さが必要です。その思いの強さこそが、医療の原点からときに遠ざかろうとする人たちに、弱い人を救い続ける勇気とチャンスを与え、離島医療の奇跡を実現させてきたのです。
実行された沖縄・奄美訪問の徳田理事長の思いとは何か!?
「いつも命懸け」とは、理事長の言葉であり、生き方・考え方です。夢を語り、追い求め、そして実現への行動を起こす。26年前の出会いから変わらぬ姿を今回も目の当たりにしました。
ふだん、徳田理事長に会うことのなかった人たちには、今回の理事長の言動は驚きとともに、その思いの深さをしっかりと受け止める出会いになったはずです。何ゆえの今回の訪問なのか? それは「思いを伝えたい、遠く鎌倉からでは思いが伝わっていない」とのやむにやまれぬ気持ちからだと理解できます。
理事長の言葉は、以前と変わらぬ強い思いと覚悟の言葉でした。「生き方を育はぐくんだ故郷のため、離島・僻地の医療のために徳洲会をつくり病院をつくり続けてきた。今後も弱きを助けるために世界中に病院をつくり続ける。徳洲会はそのためにある」と。その思いを直じかに職員たちに伝え、多くの人たちと思いを一つにしたいとの心の内はメッセージとともに刻み込まれたと信じます。力強く愛情あふれた言葉の数々、惜しむことなく多くの人に向けられた温かな眼差しと時間は、幾度となく胸を熱くさせられ涙がこぼれる場面の連続でした。
目指すべき理念の実行のため身を切る努力をすべきである
「自分さえ良ければいいという考えをもつな」と理事長に何度もいわれてきました。そのために成された行動を、幾度となく見てきました。自らが不自由を感じても、必要なところにはもっと身を切る努力をすべきだと。
今から18年前、8年近く医師として過ごした徳之島から、私は故郷にある旧名瀬病院に異動。これは私の希望ではありません。「お前は名瀬に帰る運命にある」とは、当時の徳之島病院の大久保明院長の言葉でした。「院長の右腕をなくしてもいいのですか?」という気持ちを伝えましたが、答えはありませんでした。理事長の決断と推し量りつつも、それを受け入れた大久保院長の「覚悟の決断」と察し、その意向に従うこととしました。
18年後の今、一番幸せを得ているのは私かもしれません。故郷に帰り、多少なりの親孝行と地域の医療に携わることができるからです。個人の幸福、故郷のことも考え、それでもなお弱きを助けるためにという理念は、忘れられず追求されるべきものと教えられてきた気がします。「弱きを助けるために」、「生命だけは平等だ」を原点とする理念はじつに力強く、どんなときも心の支えになり得るものです。そのことに多少なりとも寄与できたのではという思いが、今の、幸せを感じ後悔のない生き方をさせていただいたと感じるゆえんではないかと考えています。
徳洲会の目指す頂点はあくまでも理念の実行で、そのためには力が必要です。今回の理事長の訪問で、多くの人たちが言葉に詰まる場面を何度も目にしました。私自身もこみ上げてくる思いを言葉にすることができず、「ありがとうございました」が精一杯でした。今回の訪問でいただいた理事長からの「生きる力」のプレゼントは心のなかで生き続け、私たち一人ひとりの支えになると感じています。ありがとうございました。
他界した父が、病床を訪れるたびに最期まで私にかけてくれた言葉は「頑張れよ」でした。「こんなに尊い仕事はないのだから」という言葉の続きを思い出し、私からは「ありがとう」が唯一口にできた感謝の言葉でした。「皆で頑張りましょう」の言葉があらためて思い起こされます。私たちは尊い仕事に就いたのだから、理念を支えにその実践に向かって、 皆で頑張りましょう。